ながやは兄ちゃんである(次男の話)

おちゃらけて、今だにフラフラしているわたしではあるが、
こう見えて私は長男というヤツである。
可愛い弟がふたりもいる。ひとりは3つ下で、末っ子は
15才下の、今年高校受験である。

ながやはまんがも描いているが、これを陰で支えてくれて
いる沢山の人のなかで、次男は家族内のケアにまわってくれて
いる。

3つ下の次男というのはなかなかカユーイ差でありまして、
だいたい長男が中学、高校をでるのと入れ替わりに入ってくる。
なんせフツーの弟なので、おおむね「ながやの弟だろ?」ってな
あんばいで、ながやまさきの弟、としてまずもって認知される
立場なのだ。

兄は派手好きで、目立ちたがりなのだが、いかんせん弟は
こっそりしていたい人である。そこへ「おっ!ながやの弟だろ?」
などと教師も後輩連中もやりやがるので、いよいよ弟は
「もー、にいちゃんのせいでなぁ・・・」とおかんむりである。

顔はよくにている。私はややキツめの目つきなのだが、
弟は憎めないタレ目である。幼いころは女の子と間違えられ、
またもおかんむりな弟である。

社会に出てから、この弟が車に乗っていて、後ろから女性の
乗る車に衝突されたことがある。車から女性が出てくるなり
「あんた、ながやまさきくんの弟だらあ!」などと言われた
そうである。小学生のころの私の同級生であったらしい。
弟はこれにも大いに憤慨したらしい。
「開口一番『あんたまさきくんの弟だらあ!』だよ。間違っとる」と
三河弁でブーブー言っている。
ま、ともかく似ているのである。

弟、というのは順番で母から生まれたのが兄に対して次になった
だけのものであるが、似てはいても非なるものである。
ただ、同じ親に育てられたので、気性は共通するものがある。
考え方、解釈の仕方などは他人でありつつ、安心できるのが
兄弟の不思議なものである。

なにぶん照れ性で、内気な性格の次男にとって、兄の愚行に
振り回されるのはさぞかし不快なはずであるが、なぜだかことさら
マンガについては協力的なのだ。

何人かの方はご存じであろうが、ながやは25の頃、大阪で
ガス爆発の火災に巻こまれた経験があり、まさに体一つで
大阪にポツンとしたことがある。このとき、大いにまんがを
描き続けるかどうかでまよっていたが、この弟がこういった。
「あんたが小さいころから、障子とかに『がんばれロボコン』とか
描いとったころから見とるでねえ、やりんやぁ」

普段は役にたたない平凡な弟と思って(ひでぇ!)いたものの、
このとき、私のまんがはそうした人達の理解の上になりたって
いるのだと実感できたのである。特に「やりんやぁ」という
ベタベタの三河弁が効いた。うれしかった。元気が出た。

その後、ながやはまんが家めざして突進はするのだが、なかなか
思ったようにはいかない。いかないなりにもこうして続けている。
それはやはり次男のような語らない人達の土台の上にあぐらを
かいているのである。重々承知で私はそれでもあぐらを保っている。

私は母から生まれて、偶然にも弟からは兄ちゃんである。
弟が生まれたとき、すでに兄がいた、という理由で、弟は
私の弟である。良くも悪くもない。ぼくらは兄弟である。
ただ、いい兄弟の方に育てられたので、こうして仲はいい。
滅多にしゃべらないが、それは滅多に喋らないで済む兄弟なのだ。
それは私には非常に心強い。すまんな、弟。しばらくがまんせい。


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