負けた人には人間らしさがある。格好悪いので、とっとと虚勢がはってられなくなって
実に人間的になる。しみったれててふてくされてて、正気な暴言にあふれている。
一方、勝っている人というのは実に単調で、人間味にイマイチ欠けてつまらない。
調子のいい人にはその人のペースが完成していて、なかなかこっちの言い分が
通らなくなっていたりする。要は他人のお力添えがいらないってことで、どうも
つけいるだけの面白み、余裕がないのである。これは相当につまらんないことである。
人生にあって勝つ人と同等な数の負けた人がうまれるもので、そうした負けた人の
文学とか負けてる人の音楽なんてのも生まれてて、おっつけそうしたものに
心打たれたリもする。
文学だとウイリアム・サローヤンが実に適当な作家で、その作品にでてくる人は
どれもこれもヒーローヒロインらしくなく、しみったれてて、いつもすっからかんで
せいぜい言い分ばかり達者で、そのくせとびっきり優しい。この最後の「やさしい」が
特別素敵で、ぶっきらとしてたり、独り言だったりして格好よくはないのだが、
こっそり優しい。これは最良の優しさだと思う。
音楽だとザ・トイ・ドールズとかブルーハーツ(もう解散)が負け犬の歌を
歌ってる。汚くて、ブサイクで、いいじゃん、許せよっていうしかないヤツラの
歌ばっかり歌ってる。ことさら私はトイ・ドールズの「ランブルスコ・キッズ」なる
歌が好きで、歌の出だしは場末ののみ屋でオッサン臭い連中の合唱からはじまる。
これがもうすでにうさんくさいのに、歌いはじめにはキッタネエソロが入る。
シミッタレててクドくって、おまけに音程が外れ気味なのである。しばらくそんな
不快サウンドを聞かされてからジャカジャカとロックっぽくなって
「ドント・コール・ミー・ハンサァーム!♪」とやっと曲に入っていけるのだ。
アップテンポになってもその歌詞はまったくカッコよくならず、ひたすら飲んで
ばっかりで、ああ、もうボクはッ!みたいなカッコウ悪さ。この正直で本気なありようが
わたしには実に心地よい。
さて実社会にあって、勝っているように見える人ってのが何人か見ることができた。
ここにおいて勝っているというのは社会的にウマイことやった人のことだ。
おおむねどこかかしこかでズルくたちまわった人ってのが大半で、残りは本当に
いい人ゆえに生き残ったか、そのズバ抜けた才能ゆえに独自のペースを突き進んだ
人のようだ。(この表現がすでにシミッタレてるってのよね)
まあ、いうなら「うらやましくない」のだ。そんなふうにうまくやっても、どうも
楽しくなさそうなのだ。なにより「ズルさ」がハナについてイカン。目つきがイカン。
考え方がイカン、ってな風にどんどん批判的になっちゃたりする。
そして敗者の心に入ってゆくだけのヨユーも余地もない。守るものができてしまって
防戦の人生をスタートしはじめる。いいかえると勝者であるために、敗者を探し続ける
コソクなお人柄が表立ってくるのである。
負けてる人の愛おしさは格別である。助けてやろうって気になる。愚痴ってる人には
キチンと背を向けてやろう。で、ないと愚痴ってるだけの余裕に気づけないから。
叱って、怒って、勇気づけてあげよう。例えその先に共倒れが待ち受けていても、
あなたのその小心ぶりが大好きだといってやろう。今のダメがすべてのダメじゃないと
伝えてあげよう。ゆくゆくは君の持つ格好わるさがそのまま武器になることを
こっそり伝えよう。少なくともそういったアナタを応援したがってるヤツがここに
いることを安心しよう。負けてる人の方が応援しやすいんだぜ。な?