じょうじには小さい頃から沢山の音楽を聞かせてきた。とは
いっても兄の聞かせるものときたら「帰ってきたウルトラマン」の
サントラだったり、ELOの「トワイライト」だったり、P−MODELの
「アナザー・デイ」だったりと、幼年期にさぞかし脳の内部で
いろんな葛藤がうまれるだろうと予感できるラインナップである。
ある日、高校から帰ってきた長男(ワシ)は自分の部屋に
入ると、レコードプレーヤーにレコードを乗せかけたじょうじ
(当時2、3才)を発見した。じょうじは見よう見まねで
LPジャケットからレコードを抜き出し、今、まさにプレーヤーに
のせる際だった。はっ、とした表情でじょうじは
おれを見つめ、レコードをサッとおいだぁぁぁぁぁぁぁぁーっと
逃げ出した。レコードはELOの「TIME」だった。
さて、じょうじが三歳のころ、長男は大学に行くべくして
大阪に旅立った。以来8年はいたりいなかったりの「長男」
だったので、たまに帰ってきても十分なついてくれて、よく
言うことを聞く弟になっていた。
と、いってもまん中の弟がよくよくこき使っていたのだ。
ファミコンやスーファミカセット借りたいじょうじは実に良く
働いていた。気付けばじょうじは小学生になっていて、
自分のファミコンなんてのを入手してる年になってたのだ。
あるとき、フラッと夜中に帰省してきた長男は翌朝、早めに
家を出発せなアカン予定でその夜家に戻った。母がいうには
じょうじは兄ちゃんが帰って来るから・・・と一日1時間
しかやってはイケナイ、大切なファミコン時間の残り15分を
、兄のためにやらずに取ってある、というのだ。
じょうじはもう寝ていた。結局この日、私はじょうじにちっとも
会えずに大阪に戻った。
後日、じょうじは朝目覚めて長男がいないことを知り、
泣いてたそうである。この話を聞いて、少なからず私はほろっと
きた。普段なんにもしてやれてない弟に、自分なんてのが、大切に
思ってもらえてることが、ひどく嬉しかった。
大阪に戻る際にはじょうじはいつも悲しんだ。「できたら
いかんで欲しいなあ」という。この「できたら・・・」なる
表現はいかにも末っ子じょうじのもので、昔からあまり上手な
おねだりができない性格がよくあらわれてる。
ここ数年、大阪を引き払ってからは、自宅にてじょうじとは
毎日話すし、同じアニメやマンガを見ている。最近は「音楽
関係にいきてえがやぁ」とhideとかXjapanに
傾倒してたりするが、根は昔っからの凡庸な弟のままで、
兄としてはキョーレツに心配なのだが、まぁいろいろやって
みろよとあまり強制しない方向で野放しにしている。
それでもたまに余ったTVやラジカセをじょうじに譲ることが
あると「じょうじ、要るか?」と聞いてみる。するとじょうじは
ちょっと考えたフリが入って「できれば欲しいなあ」という。人間、
そうそう変われないものなのだろう。
じょうじはもう15歳である。高校受験である。異常な兄に、
この弟はとても凡庸にみえるが、わたしはじょうじにうまく
育ってほしいと願ってやまない。音楽やれるといいがなぁ。