こうなってくると、日頃の人脈がモノをいうもので、ブンブン
かりまくって、まぁ、ともかく、この文章は念願の2階「自分の部屋」
でエッセイ気分!は可能になった。
部屋にはチンマリと小さなクラッシックが机にのッかって、
こうして文章が打てている。作文するくらいなら、十分に
事足りるのだ。
と、いうか、昨今のコンピュータのバージョンアップは異常な
スタンスだから、こうしたチンマリした状況好みの人間には
なんだか、やりにくいご時勢なのである。
後輩沼田もいっていたが、モニタなんて9インチで十分足りる
ひともいるし、なにもみんながみんな、絵を書くわけじゃないんだし、
このマッキントッシュ・クラッシックみたいなチンマリした
コンピュータがもっとあってもいいと思う。
なにも携帯モバイルほどの小ささなんてなくてもいい。ちょうど
マックのクラッシックほどの「I'm Here!」と自己主張程度の
サイズがベリーグーなのである。
画面の大きさも、ほどほどないとかえって見にくいしね。
絵描きにはやや、ツラいかな?色もつかないし、画面のサイズも
ままならないし、メモリも処理速度も極端に劣る。
でも絵描きはこうしたマックを別の使いようで愛するわけで、
やはりクラッシックみたいなマックをもっともっと増やす
べきだとあたしなんておもっちゃうのである。
机の上に手慰みにマックなんて、
あああ、なんて贅沢な生活なんだ!
うちには1階に既にパワーマックがある。そんな上になんでかくも
いそいでマックを借りたのか、我ながら理解に苦しむのだが、
こうは言える。「コンピュータが欲しかったのではなく、マック!
それも新しいのじゃなく、ポンコツ寸前のマック!」。
事実、このエッセイはそのクラッシックで打っている。文章を打つ
だけなら、こんな10年以上も前のマシンでも、パワーマックと
互換できる。(ここがスゴイ!この日進月歩の世の中で!!)
この先いろんなマックがでてきても、この点では安心しきっている。
ウインドウズ98だのimacだの、いろんな流れをはらむコンピュータの
中で、やはりクラッシックのようなスタイルが出てきていない。
今、求められているのはゴタゴタと付属品のついた瀟酒なものではなく、
ブッサーイクな、部品の少ない「ハイ、フロッピーしかダメだかんね。」
なコンピュータなのではないのだろうか?
(このごろはワープロすら機能が多すぎて、ファンクションキーが
理解できない人にはトーテー入り込めるものではないと思う。)
いや、いっそ「フロッピーもダメだかんね。」でもいいな。いっそ。
でもこれは家にパワーマックがあるからこそ言える贅沢なのだと思う。
これがクラッシックのみなら「ケッ!なにがイラストだ!なにがカラー
だっ!白黒で十分さ、ネットなんてしたくもないね!」とオオボラ
かましているころだろう。
快適さ、だけが求められるものじゃないな、って思えるの。クラッシックを
借りてつくづくそう思うの。みすみす「俺を不自由にしてくれえ!」と
オタオタ悶える自分がなんかイヤ・・・・クフフ、いいぞいいぞ。