この人は声優で知りましたので、その後知った歌い手としての
彼女、と言う人には私との認識に差がありますね。
えー、このごろは坂本真綾さんを語る際には「うっとこの真綾」と
いらんマクラがつくほどに思い入れてるワタクシですが、彼女の
声の透明感はホントにいいものです。
「エスカフローネ」なるアニメでヒロインの声をあててる時に「お?」
とは思ったのです。声優声優してなくて、自然体が楽な上、
「きれいな声だ」と自然と思えたのです、オープニングの「約束はいらない」
も歌ってましたし、菅野よう子さんのプロデュースの威力なのかな?
とも勘ぐりましたが、どうも力のあるふたりの「化合」のような
魅力が本物のようです。
最近は「ラーゼフォン」なる出渕カントクの過剰演出が光る作品で
いささかハナにつくヒロイン役の声もあててますが、これは少し
やり過ぎでしょー、とか思いつつ「らら?」とか言われると
うかつにも「ふっふっふ」とOKになってしまう自分が少々ふがいない。
「マメシバ」という曲を「アルジュナ」という作品でうたってました。
そのとき、マキシを買ったんです。魚眼レンズ気味の、空の色が
おそろしく深い青のポラロイドみたいなジャケットが印象的な
ヤツです。
グングン空に伸びていくような爽快感が、力みなくうたわれてて、
気分がよかったです。昨今巷に溢れる「ヒーリング」ものとなにが
違うのかな?と思うに、彼女がうたうと「癒してやる!」的気負いが
あまりなくて、もしかしたらヒーリングのつもりなんて毛頭ない
感じがいいのです。それは、私自信が作品を作る時に出したい
エッセンスでもあります。漫画にしろ、映画にしろ、絵画的なものは
そこから「音楽」を予感させられなくては、いい作品になりませんので、
できうるのならば、「マメシバ」を直感できるような作品も
是非作りたいものです。
個人的にオススメできるアルバムは「ハチポチ」です。かなり
素敵なラインナップです。「カードキャプターさくら」で
うたわれてましたオープニングも入っております。
で、このアルバムの最後に入ってる「CALL YOUR NAME」
という曲には泣かされました。音源がほとんどなく、メロディラインの
美しい曲です。誰のことも「他人ごと」に済ましてしまう昨今の
風潮の中で、この曲に出会ったときにはすんなり「まいりました」と
心が折れました。くやしいくらいにすんなり好きになりました。
あと、マキシ版の「走る」。
これは効く。え?なにに効くか?ふっふっふ、御自身でおためしあれ。
走るさ、これ聞いたら走るさ。抜けるような、制約のない広さを、
この曲はインスピレーションさせます。菅野さんのセンスなのか、
それとも真綾さんのセンスなのか。
彼女の声と、彼女の歌は、「誰とも交換が効かない」。
だからいつもあわてて彼女の情報を欲しがってしまう。
昨今のJ-POP(このネーミングのオッサンセンスにはホトホト困る)
アーティスト(か?)なんてものは、一週間も覚えていられないし、
忘れても痛くも痒くもない。むしろ「間引いて」半分になったって
気付きやしないと思う。MTVなどをたまに見ても、ラップとか
レゲエなんてもので、日本人の薄汚ない格好の人が「YO−」とか
「クール!」とかヌカしてると、早々に心が「石」のようになって
くるので、あわててチャンネルを変える始末です。
派手にしてるのは目つきがイイカモしれないけれど、心に染みて
こないとあっては、もう歌手じゃねーだろ?とか思うのです。
「壮大に借りもの」みたいなところには、長居できないのが
人の性ってもんです。
そんな時、坂本真綾さんの曲には水琴窟(スイキンクツ)の雫の
ような透明さ、シンプルさを見つけてしまうのです。
頑張ったり、どうにかこうにかしてそうなった、ではなく、
力みなく立つ、というのは、たったそれだけのことです、とするりと
言うまでもない、感じが、聞いててお腹に「すとん」と入るのです。
いらない「心の障壁」を使わずに、こっちから門戸をあける感じ。
その感じに触りたくて、10回も100回も同じ曲をくり返し聞く。
菅野さんの携わった曲もすべて同じ理由から、やはり聞き返す。
実際に、私達に心覚えがありながらも、毎日毎時間自覚していられない
ある種の「透明さ」と「方向」が、彼女等の音楽には満載なのだ。
それがたまらない。
それが放っておけない。
だからくり返す。体に馴染むように、何度も何度も。
メジャーな曲が欲しいわけじゃないから、心の欲するところに
「するり」と座っている感じが、本当に「助かる」のだ。
結果として、ヒーリングもしてるかもしれないけれど、それはきっと
彼女等の曲への姿勢からは、きっと本意じゃないと思う。
その、気負いのなさが、また、こちらに心地よいのですね。
ここ2、3枚のアルバムから、坂本さんのルックスを全面に押し立てた
演出が濃くなってきてますが、正直なところ、「演出過多」です。
彼女の自然体をとらえるポラロイド写真1枚の方が、強烈です。
それは派手さではなく、相手側から武装解除を申し出させる引力こそ、
彼女の自覚なき武器なのですから。