ビッグオー!

 

遅すぎた!あんまり名作過ぎてほめるのもためらわれたし、人に広く評価されるのも
なんだかもったいなく思えてくる、そんな秀作ゆえか?それとも見通しさせきらない
物語の深淵さゆえか?

「ビッグオー」とはアニメーションであります。ものものしいロボットもののように
見えます。専門用語を連発しつつ、謎ときをたっぷり含ませ、アンドロイドや執事など、
今どきお目にかかれないものがいっぱいな作品です。

この作品を一言でくくりますと「爽快」の一言に尽きます。
ものすごく爽快な気持ちになります。そして「子供にはわからない機微」がたっぷりです。
人間の躊躇も、ためらいもあるが故に、そこいらの「ヒーローバカ・熱血ロボットもの」とも
明らかに違います。高らかにいろんな台詞を叫ぶロボットものでもあります。
「ビーッグオー・ショータァーイム!」などと叫んで戦いはじめるロボットものは、ここ最近
とんとごぶさたの演出であり、うれしくも「待っていた」ものでもあったのです。

ネクタイつけたオールバックの紳士然とした気障なネゴシエーターがギミック味たっぷりの
いかにもハンマーパンチな腕を持つ「メガデウス」たる「ビッグオー」に乗り込み、
決して「正義感」だけではない理由から、住んでいる町を守る形となる物語、といって、
果たしてどれだけの人がこの作品に飛びつけるでしょうか?
だから、この作品について、物語の概要をかいつまんでもまったく意味がありません。

とはいえ、この作品が前半13話で一旦終了したのに、アメリカ放映後、人気が再燃し、
こうして今ぞの続編14話以降をテレビで見られるのはなんとも嬉しい次第です。


このごろのアニメーションはことごとく美しく、声優陣も幅がでてきていますが、
パワフルで高いセンスを持つ作品は稀になってきました。売れ線にへきえきとするのが
当たり前な中、「ビッグオー」はカタルシスパンパン!胸のつかえがとれる、そんな作品です。

生きる人間のスタンスを推し量れる作品です。そして、やっぱり日本でしかつくれない
ものすごい作品です。手塚治虫先生がいて、横山光輝先生がいて、ガンダムがあって、
サンライズがあって、「ビッグオー」にまで昇華してきた「ドラマ重視でなおかつロボットもの」
なのですな。歴史ですらありますな。先陣の敷いてきたまんがから始まる「物語を追ってて
心高鳴り、目頭熱くなる」気持ちをまっ先に大事にする「視線」ってものを教えこまれてきた
スタッフの血潮たぎる作品。

と、こんなことは世間一般で高らかに語るも「アニメでしょ?」ってあたりでフン、と話が
こじんまりしちゃうのが、ホンッッット!嫌でね
こんなにスゲーアニメなのに、みてねーの?
ばっかじゃねーの?
とか息巻いてしまうほど
憤るのね。「ターンエーガンダム」もものすごい幅と世界観をもった作品なんだけど、
ああいった「生きる人間に、はっ!とさせて、幅を持たせる」作品って、かつての
文豪や、画家たちのさせてきた「感動」と差はないもの。まったく一緒だよ。むしろ
凌駕してるよ。

ふー。
ビッグオーを語るエッセイにしては頭に血が登り過ぎていささか品位にさしさわる。
すごいよ、ビッグオー。見てない人は見なくてもいいよ。でもすごく損してるからね。

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