このごろ、映画「ピンポン」について、ふ、と考えてることがある。
気を抜いたフイに差し込んでくる感じ。宮藤脚本はなんであんなにもてるんだろう?って
ちょっと考えてみた。ま、これに答えがあったにしても、私とは持ち味ってものの方向が
とっくに違うことはわかっているので、そのままマンガや映画に使えるって
もんでもないんだけれど、参考までにどこまで考え付くのかしら?と
考えてみた。
で、最近たどりついたところっていうのが「ピンポンという映画は『勝ってる人間』を
みせつつも、実はそうした人たちが『負けてゆく』、その様をみせている映画なんじゃ
ないのだろうか?」ということだった。
勝ち方・・・・ってものに、あんまり人間に差はないような気がする。
でもね、「負け方」って、上手にできる人、あんまりいないんですよ。
きちんと、負けられない・・・っていうのかな。ぶざまになったり、負け惜しんだりと、
まあたいていかっこわるいことになる。負け方、ってものについて、教育ってヤツは
かなり不親切だし、それを高らかに教える人ってのもあんまりいない。
だから、人は負け方について、かなり不勉強だ。で、これが怖くて、ずいぶんと
無茶や我慢をしている人もたくさんいる。でもそれがすでにぶざまであることに、
あまり頓着はないようだ。
そんな人たちに、映画「ピンポン」は難無く「これじゃないの?」とトボけた顔つきで
放り投げてくるものがある。主人公ペコとその脇役たちがピンポンにたくさん
出ている時に、本当に目の前にしているものがなにか?について考えてみました。
本来、いや、従来ずっと、「勝つ者の勝ち方」ばかり映画やまんがで見てきた私達は
「勝てそうな個性」を発露させつつも「負けちゃう」人の「負け方」の多彩さを
映画「ピンポン」という作品に見つける。
かの作品において「勝った」人の描写に「心底喜んでいる!」のが「ペコ」ひとりしか
いないことに注目しよう。「アクマ」も「スマイル」も「ドラゴン」も「チャイナ」も
各々「勝って」はいても、それを喜んでいないことが分かる。むしろ彼等の勝ち方は
どこかブザマで、負けることを心のどこかで待っているフシすらある。
ペコはその「負け方」において「クヤシー」だけであり、他人の中にその理由を持たない。
ただ本人ひとり、クヤシーだけである。他の4人は自分の「外」に勝つ理由を持つ。
そしてペコの「勝ち方」に至れない自分を見ている。
自分の気持ちにいつも「邪魔」を仕掛けてくるものがあって、その「排除」から
はじめなくちゃなんねーひとたちがいて、そんな人たちが「ピュアな」人ってのを
見知っちゃうと「ああ、なんてこったい・・・」と思う。
自分のみじめさからはじめる人たち、の物語なのだ。
主人公こそペコだけれど、この映画の大半が描いているのは「負けっぷり」の
姿であり、その多彩さ、なのである。
ゆえに、この映画の真なる勝利は「ペコの1勝」で十分なのだ。
映画にしろ、まんがにしろ、作品ってやつは、それを作ってる人間が「どこに立って
世界を見渡しているのか?」を知らせてくる。
宮藤脚本の立地点は「負けっぷり」を描くことであり、そこに酔わずにいつつも
「悲しむ」とは違う「ここでも元気に生きなくちゃ」という、本来の「幸せ」とは
違う向きに行きがちな脇役達に、「ピュアさ」だけを武器にあちこちヘコんでいる
主人公に照らして、「ちょっと正気に戻る」ことをオススメしてくる。
人生ってヤツには思いがけないことがたんまりあんのよな。
イレギュラーなことがケッコーぽんぽん起こるのよな。
でもいちいちヘコむ時間も与えてもらえないのよな。おおむねテキトーに
しちゃうことだって、どんどん増えてくるのよな。それって「器用」に長けるばかりで
ちっとも楽しくはないでしょう?
このごろ「ヨコハマ買い出し紀行」のまんがをくり返して読んでいるんです。
このまんがはきっと雑誌にとって、「稼ぎ頭」にはなれないだろうけれど、
ある良識を気負わずに見せてくれて、焦ったり、困ったりしてる「気持ち」に
しゃん、とした正気を取り戻させてくれる。ああ、ガンバるばっかりじゃツマんないな、
ああ、あきらめるってのも足りないな。ああ、面白がるっていうのはそーゆーもんだよな、
などなどの「見過ごす」感情をスイ、とすくいあげる感じのある作品なのだ。
これが、どこか宮藤作品のやってることと似てるなぁ、って思うのです。
短絡的な、スチロタイプな「癒し!」とか「ハッスル!」ってもんでなしに
人を、ただ正気に、落ち着かせて、そう、「戻す」って感じが一番近いかな。
人は、本来の自分ってものに、ただ戻りたいだけなんだなぁ、って思えるんです。
で、そんな自分に「そんで、ええ」って言ってもらいたいんだなぁ、って思うのです。
それっくらい、私達の生活には「拒否」とか「反対」とか「勝負」とか、周りから
やってくるものにひっかきまわされることが多いんでしょうね。
ただ、自分に「それで、いい」とうなづかせるだけが、なっかなかね、できないよね。
ん〜、できなくて、いい、と思う。できなくて、然り、と思う。そーでなくちゃ、と
思う。そーでない人は、魅力がないものなのだ。不思議とね、なんだかね。なぜだかね。