ガンスリンガーガールのオープニングにみたもの

どんな方向に見る人の気持ちをいざなってくれるんですか?
って点において、アニメのオープニングはあなどれないクオリティを
発揮しています。NARUTOのオープニングなんかも露骨に
商売魂放ちながらも、作品世界の盛り上げにはとんでもなく寄与
しておりますし。

ガンスリンガーガールのオープニングには心打たれました。
やられました。荘厳なイントロにはじまり、70年代のような
「もしかしたらあるかも」な美しい未来像を予感させる
旋律・アレンジに入り、シックな心象へとうつろってゆく流れが
美しく、とうとうと、続く。

カラー作品にあって、そのグレイの使い方のうまさと、派手な
カットにまったく逃げない姿勢があのオープニングから
十分理解できる。

作品世界そのものは決して明るい未来なんかじゃないし、
殺伐とした気持ちになってくるところもたくさんあるんだけれど、
それってなにもアニメだけの話しじゃないし、むしろアニメが、
マンガがそこまで「寄って」きてくれているのであって、
日本のサブカルどーよ?ってひねたうれしさに安住せずに、
ただすんなりと「あのオープニングはきれい」   で済むのだ。

すごく美しいように見えた。
ように、見えた?

そう。
気持ちが嬉しかったのだ。
この作品をどっちの方向に導いて、どうした気持ちに寄与できる
ものであろうとしているのかが、あのオープニングには込められて
いるのだ。

丁寧だし、ゆっくりしてるし、しっかりしてる。
そしてきちんと美しく見せている。

日本のアニメって外人にとってとんでもなく「美しい」ものに
映るって話しきいたことがあるけれど、その手の「物理的な
美しさ」を言及したいんじゃなくて、「気持ちの、どの辺りを」
見せようとしてくれてるのか、という「切り取り方」の美しさが
際立つのだ。

人っていろんなものに、いろんな期待するでしょう?
期待ってするだけじゃなく、した後に「かなった」とか「とげられない」
とか「相手にされない」とか、こっちの「期待」に対してやってくる
「期待への反応」をけっこう自分で皮算用してるじゃないですか。

「期待」って「期待」単品じゃないのね。
おおむね「期待したのに」とか「期待通り!」のように、量として
「期待」したことへの返礼を求めちゃってた分への自己満足こそが
一番大事だったりする。

「期待」なんてこっちの身勝手なのにね。
身勝手な割には、それが理由となって、いろんなことが起こるものです。

「ガンスリンガーガール」って作品にもやはり漫画を読んで入ってる
人間には相応の「期待」がすでにインプットされてるから、アニメは
どうしてもその上の線をいってなくっちゃ、って気持ちがこもる。

そんなとき、まっ先に応えてくれたのがあのオープニングだったし、
あの世界観がいざなうものを端的に見せてるのもあのオープニング
だと思う。

例によって、やはりながや、CD屋に駆け込みました。
名古屋まで行きました。オープニングの曲がとんでもなく欲しく
なったからです。欲しかったのにありませんでした。発売前だったのです。

作品そのものもモチロン誠意に溢れたすごくいい作品です。
でもここでは象徴の意味もこめて、あのオープニングをたたえさせてください。
気持ちが、まず、ああ、そうです、そうなんですよ、と
すっかり足場を奪われたのです。

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