台風はすごいのに

台風ってデカくて力強くてとめられなくて、いろいろはらんでて
すっげー気紛れに動いてて、そのくせ通ったあとに変化のない
ものなんて許さないのに、生き物じゃないんですよね

生き物って、ほら、なんかどっかで「脳」があるような気がしない?
なんか考えて、動いてて、のびてて、成長や衰退をくり返す。
ほら、でも台風って、脳、ないのよ。

脳がないだけじゃなくて、生き物ですらない。
なのに衛星写真などからでないと動きも全体像もわかりゃしない。
そのうえ動く!動くくせに、「自力で動けない」ときてる。
周りの気圧や風の影響をうけて、押されるように、まわりのなすがままに
動いてる。それが台風。

脳がない、っていうなら植物もそう。
ぐんぐん水吸って、のびてゆく。太陽光線を受けて、体内で栄養まで
作り、活きて、子孫まで残すのに、脳なんてない。脳なんて、ないのだ。
果実や葉を実らし、生やしているというのに、ただそれは「生きてる」だけだ。

生きる、ってことに「脳」は必須じゃないんだな。
動く、ってことに脳は必須じゃないんだな。
脳はたしかにいろんなことをするんだけれど、それは生きるってことや
動くってことの直接の理由にはならないもんなんだなーって思うんです。

海流、とか風って地球上をぐわんぐわん動いているのに、スッゲー
サイズで世の中を翻弄してるのに、その存在そのものは「現象」でしかない。
なにかの意志なんかじゃなく、動いて、他の生き物を大きく影響下に
おいてるのに、それはなにかを成し遂げるものではないのだ。

漫然と、ただ、そうである、ということ。
そういうろくろく意志もないものの中で人間とか動物とか昆虫ってのは
脳を使ってあれこれと忙しく活きているのであります。
自分で進路も規模も決められないような台風なんてものに翻弄される
サイズの生き物なんです、人間。

ほら、そう思うとさ、日々のがんばりとかしでかせることの大きさとかにさ、
なんか謙虚になれないかなあ。

最近の世の中って、なんか、どっかで勘違いしてるものでくるまれてる
感じがするんですよ。それも誰かの意志みたいなもので世界はなんとかなる!
みたいな錯覚で、独善な平和がくさくて仕方ないんです。

人力で地球は壊せると思うんですけど、人力で地球は救えないなとは
思うんです。「せめて壊さない」ってのが本来のマナーなのに、
それに対しての人間の態度はぞんざいなまま。

世界はきっと少しづつ壊れていくんだろうけど、そんな中で叡智に
触れてはいたいもんだ、と思ったら、インディアンの本に全部もう答えが
書いてあったような気がする。世界のいろんな宗教教義にもそれに似た
解答が存在してるように思う。
世界の問題と、その答えはあるというのに、世界はやっぱり意志のない
ものに翻弄され、日々「しょうがない」とかいって進んでるんですね。

それがつまんない、って思うんですよ。
脳があるくせに非力なこのわたしが、ってちっぽけながらに決意する
おもしろさ、っていいじゃないですか。
役にたたない、が前提でいいじゃないですか。
そんでもって、「なんもなしにはしない」っていうなけなしの決意で
あんまり見返りを大きく見積もらないで挑んだらいいんですよね。

わたしたちはなんせ立派な決意をしたがりすぎる。
ろくずっぽ大したことしてきたわけでもないのに、やたらに立派な決意に
憧れ過ぎてるんですよ、ホント。

台風だってほら、自力でうごけやしないんですよ?
自力で動けないんだよ?あんな日本まるごと暴風雨にできるような
天災が、「自力でうごけない」んだよ?おかしいったらありゃしない。

台風のデカさをもってしてもこれだけ考えがないんだ。
自分のミニマムさってものの奥ゆかしさをどこかで笑いながら
「そんでもやる!」ってくらいの決意が、人間にはぴったりな気がする。
近ごろの「勝ち組、負け組」みたいな真剣そうな考え方って、どこか
窮屈なんですよ。

そんなとき、わたしは台風を思い出すんです

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