ほんのときどきだけど狂う時がある。
正しいとかどーとかこーとかじゃなく、狂うことがある。
調子が悪いってんじゃない。狂うって言葉しかあてはまらないことがある。
理性が役にたたなくって、自分になんの作用もしなくって、
ドチクショーって気持ちでただ狂うときがある。
そんなとき、音楽だけが救いになる事がある。
音楽だけしかとどけないところがる。
ンナ時にさ、ピロウズのマキシとかが一枚あると、
わっ!っていう気持ちンなって
うはーーーーーーーっ!
って笑っちゃう!
なんだろね、あの感じはなんだろーな。
他のどれとも比べられないし、一致しないし、
むざむざかっこいいのだ!
他人(ひと)を救うのは理性の言葉じゃないし、
他人(ひと)が困惑させられるのは理性の延長上のものじゃないから
つまりきっとぼくらは自分に要るものってやつをひどく勘違い
してるに違いないのだよ。そーだろ?
手痛い失恋を味わい尽くした時に助けになったのは
詩だった。
歌詞も音楽も暴力のようにあふれる日々の「ドラマ」に吐き気が
してるってのに、誰も止めようとしねえ!もっと、もっととただ
うるせえ!
ンナ時に丁寧で十分な慰めがなにになるんだろう?!
そのときの新鮮な憤りのスゴさってやつを、
どうしていかしておいたままにしてくれねえんだろう??
これが!
それが!それこそが!!
自分!!だってのにね!!そーだろ?!
だから私は時々狂う。
それは「要るもの」なのだ。
そこが欠損してるとおびえるようにしゃにむに焦るだろう。
ピロウズのアルバムやマキシってホント外れがない。
外れっつーかな。
それそンときに欲しい感情やスピードや暴れ方がそこにストンとある。
それが!それがなんてすごいことか!!
それってどこにも言葉にも映像にもなってないけれど、
ピロウズを聞くとそこにちゃーんとあるんだ!
たどって、めぐって、さがしてたソレがあったりまえのように
そこにある!!
だからピロウズは交換が効かない。
ピロウズを聴くしかない。
聴けば確実にそこの感情やスピードや狂い方にたどりつける。
それがスゲーんじゃん!んなろ。
ま、つまりある日ある時、
わたしは腐っていたわけです。
んでもって録画したくってビデオテープ買いに行ったんです。
したらばCD屋にピロウズとかみつけちゃうと我慢とかしないで
「なんで買わない理由があんのさ?!」ってことで買うわけです。
家まで我慢なんてしやしません。
カーステでガーン!と
デッケー音で聴きますとね、あら!
知ってた感情にガツーンと戻るわけです。
イカス感情にスパーンと戻るわけです。
今回は「その未来は今」!!
「1秒先の自分に
追い付き追いこしたいな
振り向いてなにを話すだろう」
これを詩、以外で表現できる輩はいるかー?
かっこいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!
人を鼓舞してきりきりさせてうわーーーーって叫ばせるあれはいったい
なんなんだろう!!なんて感情なんだろう?!あれはいったいなんだろう!
全部を知りたいわけじゃない。
でも狂いたいようには狂わせて欲しい。
放っておけってことだ。