そして変わってゆく

私の弟が結婚しました。非常によい縁あって、両親と暮らしています。
いつのまにか変わっていたんですね。私に妹が今はいるということです。
フイにね。突然にね。

私が幼少の頃、うちの隣の道は砂利で、道路そのものも山に向かって
のびていってても、途中で工事が止まってるような具合だった覚えが
あります。鋪装前の道路で私は自転車の乗り方を覚えたし、ホタルに囲まれて
上下が分からなくなった記憶もあるくらいの田舎だったんです。

それが隣町にまで通る道になり、信号がつきました。私の住んでいる地域では
ひとつめの信号だったんですよ。ふふふ。

一番記憶の最初に来るのがこの廊下でした。恐い夢も、楽しい夢も、ひんぱんに
わたしはこの廊下の夢をみました。廊下でかーくんとミニカーで遊んだし、
トミカの町(わかるかな)、怪獣消しゴムなどなど、遊べる廊下でした。

天気のいい日にはあったかかったし、もちつきをすればここで親族や友人知人が
のばしたりこねたりしてました。当たり前に、そこはただのふつうの廊下でした。

だからなくなるなんてのは全然想像してないわけです。生まれて育ったところの家が
あれば、そこから出ていっても、帰る場所として、そこにあるから「帰る」が
成り立つんですよね。どこかよその町で過ごすにしても、そこが居心地がいいとか
水があう、あわないというのは「もといたところ」との比較ができるからなりたつんです。
部屋の空気の流れ具合、ごはんや味噌汁の味付けや香り、音のもれ具合、人の歩くときに
出る音の感じ、その家ってのが持つ「音」や「空気」が自分の「スタンダード」として
しみ込み、家族の調子までわかってしまうのは、その「家」が教えてくれた間合いなわけです。

うちの兄弟はみんなひとつの柱で幼少の頃から背丈をはかってましたから、「ついにお兄ちゃんを
抜いたね」とか「背伸びしたー」などとなったりするのも、その家に刻まれた記憶なわけです。

自分や家族がそこでごはんをもりもり食べて、親族が集まったり、友人と笑ったり、引っ越して
荷物をまとめたり、なにかつくってみたり、落書きしたり、怒られて裏の戸から閉め出されたり、
ここの家の間取りの中でいろーんな、いろーんなことが起こっていたんですね。

隣にある道路はいつの間にかインターの出口になるというので、未完成だった道路が発展
するにつれて、道路より先に営まれてきた家や家族が、移動することになるなんて思いませんでした。
道路、はあとからやってきて、「邪魔ですよ」と言ってきました。

たしかに今そこにあって、庭に水をまいたり、甥や姪が学校帰りのあいさつをしてったり、
知ってる顔の近所の人が目礼してったり、見上げたそこに神社や遊び場があった。
父をはねた車事故が起こったのは交差点だし、私が飛び出しをしてあやうく大事故になりかけた
のもその道だし、毎朝「行きたくない!!」と大泣きした保育園への送迎もこの家から
はじまってる。
これまで全部のいろんなことが、ただ、そこに、そうあった「家」から生まれ、私も、みんなも
当たり前に「そこにながやの家がある」からきたり、出たりしてた。

 

家、はその存在そのものが家族という情報の根っこになる図書館。
いろんなことが、そこが家だったことで起こり、始まり、戻る。
その風景を思い返し、その端々でなにがあったかを記憶で取り戻すのに、その風景があればこそ
思い出せるという「家」。

今はもうなくなっちゃったし、こうやって少し書けるようになるまで時間がかかったので
やっぱり激しく悲しかったんだな、俺、とよく分かる。遅らせてもなんてことはないし、
なにかが変わるわけじゃないけれど、ちゃんとお礼をいわなくちゃ。

本当にありがとうございました。たくさんのたくさんのたくさんのことが、あなたがそこに
建っていてくれたことで起こったんですよ。ありがとうございました。君は立派な家だった。

父と母がわずかに残った区画をなんなら残すってこともできるけど、と言ったんですけど
「父さん母さんのいるところが『家』だからいいよ」と私は言ったんですけど、
あれはやっぱり嘘でした。私はあの家がとてもとてもとてもとても好きだったんです。
だから今、つらいです。新しくてもすごくても、あの家にくらべる家ってのが私には
よく分からないんです。すっごく自分の中でおっきなものさしを失った感じなんですよね。

 

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