ひさしぶりに大阪にフラリと遊びに行きました。今回はいとこのTくんをひきつれて
ETC搭載の愛車で向かうことにしたので、昔の貧乏旅行と違って快適でかなり
早く辿り着くことができるようになりました。
私はフイに休みができると、フイに誘っても怒ったり、困ったりしない知人が
一般の方より多くいるので、ついぞ出先で一緒に遊んでいただくことが多い。
今年は年始から「人に会う」というのを自分で決めました。本来出無精だし、
友人知人もそんなに多い方でもないから、たいした決意と言う程のものでもないんですけど
それでも飛行機に乗ったり、行ったことのなかったところへ乗ったことのなかった
高速道路などに乗ったりと、附随したいろんなチマチマしたことが思いのほか楽しく、
いい決意でしたと思っている次第です。このごろはテレビを見ても、インターネットを見ても、なんというか「人をけなす」
ことだったり「ひどい事態」ばかりが上手に報道・放映されていて、正直「うんざり」
していますから、どっちのメディアも「待ってる」だけでやってくる媒体なので
一緒になってただただ「うんざりうんざり」してるのもいささか滑稽よね、ってこともあって、
実際自分で身に感じることを大事にしたくなったのかもしれません。
休みごとにデジカメ持って写真を撮りに行くことを増やしてて、実際かなり楽しいのです。
世間に出回ってて、量ばっかり多くやってくる「情報」はかなり不可解であったり、
気分の悪いものであるから「無視」したくもなるけれど、まぁそれはよくないよね。
とはいえ、胸の悪くなる猟奇的な事件から、日々の不愉快な事例にばっかり気持ちを
費やしていると、極端に疲弊するばかりでどーにも面白くない。つか、放っておくと
毎日が、ただ「傷付く」懸案ばかりに囲まれかねないつまらなさで、これはいかんよね、
ながやさん、と自分に言い聞かせはじめた今年なのです。
で、実際走り回っていると、あちこちに「いままでもずーっとあったもの」なのに
自分の目、で見たことで、すっごく新鮮に映り、私はそうした「自分の見え方」をば
他者に披露したい方なので、おせっかいにも写真にしたりエッセイにしたりして
「みんなもどお?一緒?違う?おんなじ?どおどお?」ってやってしまうのでした。テレビ見てて思わない?「ずいぶんとお粗末な現実だな」って。
ん?いやいや、自殺したいとか厭世主義とかいうんじゃなしにね、受け手に送り込まれてくる
情報の質も、実際起こってることも、「ひどくつまらない」のです。
そう思わない?
私は品位のあるものとか、聡明なものをもっと見たいし、触れたいって毎日思っています。
こんなにがっかりするものばかりで囲まれて育ってる人たちがまともになるとは思えない。
なにか美しいもの、立派なもの、賢いものを見たり知ったりできないと、知恵として、教養として
人にしみ込まないと思うのよ。
メディアがこんだけあって、「一斉にひどい」のであるなら、メディアの量ってのはあんまり
意味がないよね。バカよね。ひどいよね。
メディアがひどい、という表現は妥当じゃないのかもしれないけれど、「つまんなくて、ひどくて
くだらないことばっかり」にかかわり合いにさせられるだけの生活に、多くの人が平気で
居られるとは思えないのです。みんなどこかで「うんざり」して「見限る」ときがくるのだと
思う。テレビも安物芸人の「バカ笑い」や見え透いたすっこけモーション、わざとらしい驚きポーズの
連発連呼をそーろそろ恥じて欲しいわ。うん。
見るべきもの、
聴くべきもの、
知るべきものはもっとあるはずじゃん!
なーにしてんのさ?メディアさんよ?えええ?
NHKラジオの朝4時頃の深淵で、地味ながらも含蓄のある人たちのコメンタリにはどきどきできますよ。
私はもっとちゃんと生きていたい。その助けとなるものに飢えている昨今よ。今年はとにかくメディアに触れているよりも、人に会った方がはるかに有益だって感じてる。
待ってて手に入るものの「質」は極端に悪いし、不愉快だし、誘導が多すぎる。かまってらんないよ。
かといってエコだとか福祉だとかいうんじゃなくてね、いいこと言いたい、ってんじゃなくてね、
「自分が本腰入れて生きていくのに、役にたつ」もので囲んで欲しい。そんだけ、それだけのことなのよ。