温泉に入ってます。いやいや、御年配が泊まりがけで露天風呂・・・などという風流な
ものではありませんよ?そんな予算も時間もありゃしません。近くのスーパー銭湯まがいの
夜12時くらいまでやってるやつばっかりです。そんなところばっかりが載ってる本が
あるんですよ。それを買ったんです。
→ゆらん
そもそも去年は「人に会う」がコンセプトの年でした。芸大時代の友人がこっちに遊びに
来た時に、空港内に温泉があったんです。んーで冗談みたいに入ってみたらすっげーくつろいだ
気分になりました。発端はそれなんですけどね。
その友人がまた来たのでそん時にも遊びに行った海岸沿いに温泉があって、やっぱり
くつろいだ気分になれました。その温泉に本がおいてあって、「いいかも」って買いました。
これに並行して昨今「禅」の本を読みふけっておるのです。玄侑宗久さんて人なんですけど、
この人が他のお坊さんと対談した本に「からだに聴け」っていうのがありまして。
その内容は激しくかいつまみますが「人は頭で考えている生き物だけど、体そのものが
言ってくる言葉ってのが、言葉じゃないけど、存在する。そういうものに耳を傾けなさい」と。
頭で考えたことばっかりで生きてる私達は「考えたこと」の延長上で生きようとしてしまう。
まっさきに粗末に扱われるのが自分の体、なわけです。考えたこと、にひきずられるように
体、は言うことをきかされるはめになるしね。
体、の方から発してくる言葉なき言葉を聞くにはそこそこトレーニングもせなね。
ちっと耳をすます程度ではきっときけやしないでしょう。からだの発してくる
SOSも、感謝の言葉も、どんなものかも予想できやしません。
そこでこうしました。
「体を大事にしよう!」
「体に刺激を与えて返ってくる信号をキャッチしよう!」
んー・・・・・どうやって?
と、まぁここで思考停止してた、っていう伏線があります。
その伏線が年末の海岸沿い温泉で結実する訳です。
「温泉じゃぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
そうです、温泉です。温泉なら体を大事にできるし、刺激もラドンだの電気だのスパだの
サウナだのとたらふくあることでしょう。そして従来の私の「出無精」(今これを信じる人は
ほとんどいない)(でもそうなのよ)も解消できるでしょう。すっげー!冴えてるオレサマ。
その買った冊子というのは「温泉シールラリー」といいまして近隣の県までの温泉マップが
載ってるついでに、行った先々で「シール」を受付で貼ってもらう、というスタイルのものでした。
そこで毎週休みごとに温泉にでかけることになったのです。
おっとなんだか本筋からそれた解説がのびたな。
んっとね、このごろ目が疲れやすくなってると思うのね。あと、心が病んでる人にあう頻度が
増えてきたの。それも自分より若い人。鬱を煩(わずら)うっていうのは自分で厳密にはコントロール
できない。それらは今の世の中でなんの気もつかわないで生きていると、誰にも煩いかねない
現代病なのもわかる。一方で30、40歳になろうという人であまりにも人間的に
「すっからかん」「からっぽ」な大人が男女なしにとんでもなく多いってことも気にかかる。
冗談かと思うくらい「全然何も分かってない人」が世の中にはいて、他人も大事にしないし、
分かろうともしない。挙げ句「自分は自分」とやり方も考え方も全く変えない。
「自意識過剰の自己不在」ってやつだ。主張するものなんてないのに、なにか喋ってることで
なんにもないことを隠すだけの人生を吐露してるのに、本人になんの自覚もないオソロシー人種。
鬱も、からっぽの大人も「あたま」の使い方に振り回された人の行き着いた先に感じたのだ。
頭だけで考えて生きてるって言うのはつまり「ケータイとネットで情報が入ってきててテレビと
CD聞いて楽しいだけの人」も含む。脳内で「楽しみ」を作り出して、「楽しいはずだ」と思い込む
ことにして、それが実は楽しいものじゃなくても、楽しいはずなのに、って思い込もうとしたりして
「なんで自分は楽しめないんだろう」って考えたくもない・・・なんてな本末転倒な人種は
たくさんいるでしょう?メールとネットで人と話してるつもりになってる人、はすでに異常なのだ。
私達は、人と顔向けて、話してる以外は「話してない」と思った方がいい。
独り言、ばかりしてる私達は、「頭ン中」で作り出したフィクション(作り話)だけで自分を
取り巻き、このごろは特にそのフィクションに「負けて」病んでしまう人が多すぎる。
つまりは「体をつかって知ってみました」という身体体験の絶対数が少なすぎるんです。
遊園地の遊具で怪我した子がいたら、日本各地の遊び道具が一斉に「使用禁止」になっといて、
さりとて野山を駆け回る自然も山も木も川も池もない、「身体経験まるごと禁止禁止禁止!」
みたいなものに囲まれてる私達の異常な生活は「脳の中で愉快であるだけ」しかすでに
楽しみの逃げ口がなくなりつつある。こんなんでまともな人が育つか。無理ゆうな。
そこでですよ。温泉なんですよ。移動して、温泉はいって、食べて、うっとりして、と。
脳以外の「楽しみ」をつめこんでみてるわけです。今年にはいって12件めぐってます。
今2月中旬なんで4日に1度くらいは温泉してるわけです。そのはざまには「航空機撮影」を
してますし、まぁとにかく「身体経験」で「頭ン中だけで考える」ことをどんどん減らしてきてる
わけです。
ここ最近の一番のショッキング体験は「水風呂」です。
お風呂屋に来ておいて「水の風呂」とはなにごとか!と最初は思ってたんですよ。
「水」なんだから「風呂」はねーだろ、って。別のネーミングはねーんですか、って。
ところがですね、「身体経験」をためしてるんでサウナに必ず入るんですよ。最初は
3分入ってるだけで「スゲエ俺」と英雄気分でした。こんな苦しい思いをできるなんて
すげえ、って。でも自分よりうんと長く入ってる人もざらにいるんですね。
何考えてるのかさっぱりわからねえ。そこで挑戦してみると、なるほど、やっと「体からの言葉」を
少し聞く耳ができてきたように思えました。自分の体調や不調が、体の方から「ここですよ」って
ささやいてくるんですよ。おお、そうか、俺気付いてなかったね、そこ不調か。おお、
内臓がいけませんか?そうでしょうな、不摂生がたたってきてますか。おや右足のひざが
痛みますね、昔車にはさまれたとこだね、よし大事に気づかいましょう・・などと
「放っておいた」はずのところを「見知る」くらいにまでは意識を戻せてきたんです。
そういうのは「頭で知ってる」ではケアできないんですよ。経験を経由して「知ってる(ナレッジ)」から
「分かってる(アンダスタンド)」に移行しなくてはできない行為なんです。
経験を経由して、体から経由させて、「そうでしたか」と自分が自分を知って喜ぶ感じ。
温泉は、そうした「脳ばっか」で「楽しいはず」というかっこわるく、ぶざまで無意味な生き方を
正す、生来の「普通」を取り戻す訓練のようなものでした。だから長続きしてます。一見道楽です。
実際道楽です。それでも私は着実に気持ちが優しく向かってることをここ数年感じています。
自分は牛歩の足取りで「穏やか」に向かっていると。
ウンチクたれてねーで「温泉好き!」って言えば?って感じ?ははは、好きよ温泉。
つか実際身の回りの人はかなり振り回されてるしね、シールラリーの本プレゼントしまくってるしね。
いまや温泉仲間できつつあるしね。真っ昼間から裸一貫!地でいってて逮捕されない裸の楽園「温泉!」
マッチポンプ(自作自演)の人、ってのが増えてる。悲しいも苦しいも、どこか芝居じみてて、
その人の脳の中だけの小芝居がとてもチープでつきあってるほどの価値がないって思うことが
本当に増えてきた。ヤバイ傾向だと思う。みんなもっと温泉に入れよ。小学生も中学生も
「イジメ」とかする人もされる人も温泉入れよ。裸の人ってのがどんだけ「なんにも持ってない」
生き物か、わかるから。ケータイもネットない温泉に入れよ。妄想を洗い流そうよ。楽になるぜー
このエッセイを読んで温泉に入ったものは掲示板に効果を報告せよ。アデュー!