君を満タンにするもの

 

くたびれきって、泣きそうにクタクタなのに、そういうのが吹っ飛ぶような体験をすると
疲れなんてのは自分が培ってしまった一人芝居なんだって一刀両断できることがある。
なにをくよくよしてたんだって笑い飛ばせてしまう無闇なハイテンションの突抜けを
知ってる人は、どん底まで落ち込むことがなんだかできなくなってしまう。

世の中にいろんな人がいて、いろんなものがあって、いろんなことが起こっているのに
そのそれぞれが、みんなにいい顔をしたくって、優しくありたくて、役にたちたいと
そこにあるのに、全部が全部、自分に役にたつものにならないのはなぜなんだろうね。

ある夜、また私はくたびれきってしまった。ため息ばっかりついて、考えてもどうしようもない
ことをグダグダ、くるくる堂々回りして、ひとり御飯を食べて、熱い湯舟に浸かって
ぐったりした気持ちを抱えたまんま寝てしまう寸前であった。
なんでこんなつまんないことをくり返してるんだ、と分かりきってる気持ちで一杯。
「ああ、アマゾンからCD届いてたっけ・・」
気晴らしにはなるかなって封を切り、床についたままイヤホンつけた。
「このまんま寝ちゃえるかも・・・」
再生ボタンを押したら

すっかり目が冴えた


ははは、朝4時だってのに。

耳が我慢できるぎりぎりの音量まで上げて聞いてしまった。
アドレナリンじゅわ!ってやつ。ぐんぐん血流がふえたよ。
何度も何度も何度も繰り替えして、脳の奥、DNAの溝に入り込むくらい自分にねじこんでやった。
くり返すと言うのはそういうものだ。シラフにしててもそらんじて思い出せるくらい
自分に刻み込みたいものなんだ。

そのCDは坂本真綾の最新アルバム「かぜよみ」。
くり返したのは「Get No Satisfaction!」
作詞が坂本さん本人ってのにびっくりしたし、ゴールデンコンビのはずの菅野さんの
アレンジでない曲でこんなに刺さってくることがあろうとうは!
ええ、もう大好きですよ!!!

自分が拳銃だとしたら、リヴォルバーには6つの弾倉があると思うんですけど、
その自分を十分な状態で活躍させようとしたら、そこを満タンにしてるほどたくさんの
仕事ができるでしょう?
他人を打ち抜くくらい劇的で押しがあって、刻み込めるものを、私が持ち続けるには
満タンな自分が溢れる気持ちをもてなくちゃ。

でもその弾倉にはなに詰め込んでもいいってわけじゃないんですよ。
自分だってなんでも詰め込めない気持ちが先にたってるんですよ。
だって自分がそいつを使ってズドンといくんですから、そりゃもの劇的に冴えてなくちゃ。
量が人を凌駕するんじゃない。
たったひとつでも感じ受ける「冴え」に、相手が自ら喜んで心を開く品の良さに
ブスリと、ガツンといくから効くんだ。

いったん刻み込んだらもう引き返さないでいいくらい上等を打ち込むので、目利きも
十分毎日鍛練してきてるから、一旦惚れ込んだ、今日のそのたったひとつを
もう100ぺんくり返したって、よろこんで反芻できる。

ああ、なんだろこの明るさは。このまぶしさは。
他の誰がそうしたって信じられやしないことを、坂本さんのこの声でこの歌詞でこのアレンジで
聞いてるとがっぷり信じられる。
なんでそんなふうに単語を選んだの?
どうしてここでそんなふうに思い付いたの?
そんなふうにされたら、もうふらふらになっちゃう。
今この言葉達をつかまえなくっちゃ、このニュアンスはつかまえられないって
思えちゃうくらい、焦って、大急ぎでとっつかまえようとしちゃう!

毎日生きてて埋められなかったところに、あったりまえのように装填され、充填され
私はおっきな笑顔のまんま、走り回れそうなくらいなガッツと元気とやる気がないまぜになった
自分らしさを取り戻したのでした。

そう、取り戻す行程なんだ。
元気になるってのは、もともと自分で知ってるものなんだ、分かってるものなんだ。
ただ、そこへの上手な戻り方がわかんなくなってくるのが大人ってやつなんだ。
簡単さ、
ただ、戻るんだ


そう、「ただ戻る」だけだから、誰だって知ってるんだ。
元気な自分がある、って。

調子が悪いだけの自分がいるんだって、みんなわかってるんだ。
元気のいい自分をわかって、どこか知ってるから。
そうならない自分が嫌になるだけなんだ。
簡単だ、戻るんだ。

一旦知ってる、自分で信じたい方の「本来の自分」って、自分でもそうそう滅多に
出会えないでしょう?がっかりしたり、他人行儀でいたりする自分には毎日出会えても、
自分が自分で大好きで、自分で強化発展させたい方の自分って、自分でもあんまり上手に
見つけられないし、どこにあるかもわかりゃしない。
だからフイにそれに気付かせて、肉迫させてくれるものに触れた時のうれしさったらないよ!
今回はそれがガッツリわかったよ。CDをくり返して聞くっていうのは、そういうことさ。

延々くるくるまわってあがっていくばかりのビジョンがはっきりつかまえられたよ。
そして疑うように、のぞきこむように「君が私に見せてくれてる感情は本物?」と
恐がりながら近付いて、そばにちょこんと座って、じっと見つめて、何度も何度も
繰り返し繰り替えしそれに触れて、待って、ああ、うわ、大丈夫、いいかも、すごいかもって、
どんどん、どんどん信じられる理由ばっかりで埋まってきて、相手の持つその全然ゆるまなくって
ブレない、まっすぐなものに、すっかりあてられて、酔うようにふらふらになって、
自分が一瞬でも疑ってかかったことにかけた無駄な時間を悔いて
「ああ、やっぱり!
 すごいや!」

たったそれだけの結論なだけでいられるシンプルさと力強さときたら、なにともひきかえに
できやしない。
シンプルだから誰にも分かりやすい。そういうもので自分を満タンにしてる人を
いやがる人なんていないよね。愛で一杯になってるんだから。あふれ出すようなもので
もりもりなんだから。

「つまずいたときは手を貸して
 加速する時は 果ての果てまで君を連れてってあげる」

「くじけそうなときは合図して
 抱きとめてあげる 君の分まで覚悟はできてるんだ」

いい歌詞だ。いい歌詞だよ。
知ってる。この感情は知ってる。
それはもううんと昔の感情なのかも知れないけれど、
これをいってくれる人が世の中にたったひとりいてくれたら、それだけで大丈夫で
いられた自分を見つけるのだ。
あの瞬間に、これを言ってくれたひとがいたら、あのときのかっこわるくって、
泣くに泣けなかった自分が、足に力をいれて、もっとちゃんと立てたのに、って
思い出せる。
この言葉達をつむいでくれてありがとう。
この歌を作ってくれてありがとう!

すっかり満タンになれた。
すっかり。
すっかりだよ。

すっかり満タン!
すっかり満タン!!
走れるよ!叫べるよ!大きく息を吸い込めるよ!

「そうでしょ?」

君を満タンにするもの。
それは私を満タンにしたものをおひとつおすそわけできる。
もってけー

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