古い映画です。とっても古い映画で、随分昔に見た映画です。大好きです。
人が、人を、信頼で、つながっている映画です。すっごくそう信じたくなれる
映画です。
主人公はTJと呼ばれる8歳の子供。そのお父さんは飲んだくれのギャンブル好きの
もとボクシングチャンプ。TJはお父さんが大好き。「チャンプ」って呼んで
慕ってる。そんな息子のなけなしの20ドルを借りていってギャンブルまでしちゃう
お父さんに彼は言う
「いいの、お金は僕らふたりのものだから」って。
ふとしたことでTJのお母さんがあらわれる。TJにはもう死んで天使になってると
言ってたのに、社交界で成功して素敵な旦那さんまでいる。チャンプにとって
もと奥さんは「家族を捨てて出てった」人。
かけごとで大損したチャンプはいざこざから暴力沙汰を起こしてしまい、刑務所に
入る。そこへスペアリブを粗末な紙袋に入れたTJがとぼとぼと、でもチャンプの
顔を見れた嬉しさからやってくる。
「おなか空いてると思って差し入れもってきたよ」
チャンプはこのまま自分の近くにTJをおいておいてはいけない、との決断から
TJに「お前はお荷物なんだ」とひと芝居うつ。
「お前は口うるさくて、気障りだからだ」
「チャンプ、のんじゃダメ」
「チャンプ、賭けちゃダメ」
「お前に飯を喰わせるのも、面倒見るのもうんざりだ!」
「お荷物なんだよ!!」
TJは目に涙をうんとためて、チャンプに近付く。
チャンプは顔を背けているのに、顔を見るためにTJは回りこむ。
「お願い」
TJはいう
「なんでも言うこと聞くよ
ごはんも少しでいい」
「賭けちゃ駄目なんて、もう言わない」
チャンプは気持ちをこらえて言う。
「もう決めたんだ」
「お願い、チャンプと一緒にいたいんだ」
「言うこと聞くから」
チャンプはTJの頬を打つ
うわずった声で、涙をいっぱいいっぱいためて、TJはいう。
「分かったよ、チャンプ・・・」
TJは母、アニーのところへ向かう。
「靴ひもってどうしてこんがらがるのかな・・・」靴ひもひとつ結べないと
男じゃないぞ、ってチャンプに言われてたTJは泣きべそをかきながら頑張る。
その様子を見ていたお母さんはたまらず自分が母だと言ってしまう。
でもTJは言う。
「チャンプと一緒に過ごしてないのに。チャンプと結婚してないよ」
「たとえ離れて暮らしていてもあなたのことをずっと思ってた」といいかける
母にTJはいう。
「チャンプのことは?」
「チャンプは愛してる?」
そしてこう結論する
「やっぱり違うよ」
そのあとTJの気持ちは破裂する
「チャンプがいいの!チャンプに会いたい!チャンプのとこに帰る!!」
大泣きするTJに母と告白した女性はうろたえて部屋からでる。
フェイ・ダナウェイが演じるところの母・アニーは感情的になるたびごとに
自分を冷静に、平静に保つように、コントロールを試みる。
そしてきっとそれができる大人の女性なのだと映画を見ている人はみんな想像できる。
大事なのは、そういうときにコントロールできるってことなのが、世の常だもの。
私はこの映画を見て信じた。「うまくやるってことより、大事な気持ちってあるんだ」
TJが、実の母という血縁を越えて「チャンプ」を慕う気持ちのあり方が綺麗だって思った。
うまくいうことよりも、うまく言えないことのほうが、いいな、と思った。
理屈じゃなく、そう思いたいって思った。
そういう、うまく言葉にならない気持ちが、大切にできる人になりたいと思った。
私が映画「チャンプ」を好きなのは、「ただ、好きで、信じる」だけの強さが
シンプルによく分かるから。
見返りの期待できない次元でも、手前勝手にただ人を好きでいるんでもかまわないくらい
人を好きになれるっていうあり方が根っこに生まれた気がした。
なにかをしてくれる
なにかいいことがある
そういうちっぽけで、些末な利己心じゃないところで、のびのびと気持ちを使うことを
心底知りたかった。
そうした気持ちの、怒濤の水量を誇る滝のような感情に渦巻かれてみたいと願えた。
お腹がまだぷっくりしてる体型の残るTJの芝居とも本気ともとれない演技の自然さは
他の映画に見る「上手い芝居の子役」には出てないばたくささがあり、大好きだ。
ただ、一緒にいたい、だけ
ただ、一緒にいたい、だけ
なにか欲しいとか、誰彼をどうしたい、じゃなくって、
ただ、一緒にいたいって気持ちだけで、チャンプを見るTJの目線が、ただ、綺麗で
好きなんです。
大泣きします。
ジョン・ボイドって役者をこの作品で知りました。
他のどの映画で彼を見ても、私の中では「チャンプ」になってしまうのでした。
TJ役のリッキー・シュローダー君は素晴らしいです。大好きです。大好きです。
苦しくなります。胸が一杯になります。
チャンプみたいな作品が作りたいです。
ぽつんと、ただひとつ、そこにちょっぴり微笑んで、いつのまにか、勝手に座ってたことを
誰にも気付かれないくらいに、自然体で。
「ごはん、少しでもいい」って言われたら、もうだめ。
この映画で一番こたえる台詞。
最初に見た時から随分時間が経ってしまったけれど、今晩見ても最初に見た時と
おんなじ気持ちになれるよ。すごい。
社会に出て、いろんな人がいて、うれしかったり、がっかりしたり、ないたり、怒ったり
してるけど、その基本線に「他人への思いやり」よりも先に、「自分がしてあげたい気持ち」
を優先してしまう性格は、実は相手のためというよりも、自分の気持ちがそうなもんで
相手がどーのよりも先に貫く決心が固まる。
だから相手にとっては私の気持ちは重かったり雑だったり迷惑だったりすることがままあるのに
私がそのまま気持ちを保持するのは、上に書いた「手前勝手にただ人を好きでいるんでも
かまわないくらい人を好きになれるっていうあり方」に準拠するものだと思い込んでる。
だから私は人との距離をあまり気にしない。
私の気持ちの方が定まってるので、もう、大丈夫なんだとどこか思いこめるようになっている。