偶然みたいに見える偶然

例年通り、年末も年始も休みなくガッツリ働いたので、私の心と体はぼろんぼろんだった。
まずまぶたの上がけいれんを起こすし、こころなしかむくんでしまう。あー、疲れたわい、って
ところで、友達誘って高山に温泉入りにいった。

高山っていうか、岐阜の山奥の方には常々「何か出てくる」っていうのが私の定説で
地面から、なにか、得体の知れない、言葉にできにくい「なにか」がホンワカ出ていて、
気づくと元気になっている、っていう、なんだか風説みたいなもの。

それでも飛騨、高山で食べる食材も料理も特段手のかかった料理でなくともやたらうまかったり、
ただの牛乳なのに飲むとうぉーーーーーーーーってうまかったりと、なんだかひいき目のように
元気が出るから、あら不思議。そう不思議。理由が分かんないけど、まぁ元気になるのだ。

実際宿に着いて即温泉、晩ご飯食べてもう一度温泉。夜中の3時に目覚めて猛吹雪最中に温泉、
翌日写真撮ってから温泉、と温泉づくしを強行したが、いったん入ると1時間くらい露天の
ぬる湯に浸かり、出てこない。雪景色を観て、ぼーーーーーーーーーーーーーーーーーっとする。
とにかく「考えない」。でっかい自然の真っ白な雪、森、風、風呂の湯、以外は感じなくていい。
それだけで人間の感じ受けるキャパシティは十分一杯になり間に合わないことを感じ受けた。

特に真夜中の風呂は怖かった。それまで温暖な正月天気だったのが、旅行に行った日から突然
「マイナス10度」の等圧線の最中に突入し、横なぐりの雪がぶぉーーーーーーーーと吹き、
枝木の上に降り積もった雪を蹴散らすように舞い上げ、叩き付け、温泉に浸かってない頭の毛は
ドラゴンボールよろしく凍り付いていた(ホントに凍り付いてた。びっくりやで、あれは!)
湯船の中で体は暖かいが、首から上はマイナス10度で「風呂から出るのが怖くなる」上に
出れば足下は凍り付いてたり、雪が積もったりするもんだから、鼻まで湯船に沈めるのだが、
そこへ真夜中の大突風が「ぐぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおーーーーーーーーーーーーーっ」って
吹くもんだから、雪は舞い上がるわ、見えない暗がりで雪の塊は落ちるわ真横から雪が叩き付けてくるわ
寒いわ痛いわ怖いわ暖かいわ暗いわと一人の中で大騒ぎな感覚の洪水に打ち震えるのだった。
そしてこのまま真夜中の湯船でぽっくり死んでしまっても、だーれも気づいてくれねーよなー、っていう
怖さもまたひとつ加わって(この旅行をほとんど告知しないで行っている)面白くって仕方なかった。

さて、この旅行ではとにかく寝ても食べても元気が出てるので、モチベーションは放っておいても
上向きになる。一緒に行った仲間がやたらにあちこちで声をかける。バス停で待ち合う老夫婦にも
酒蔵で大吟醸、生酒を飲んでれば「おいしいですよー」と通りがかりの人に声をかけ、
外人さんにもお土産屋さんのおばちゃんにも声をかけては盛り上がる。
当たり前のことだ、とそいつはいうが、当たり前、ではないと思う。それでも話しかける相手は
誰もが軽妙に返事をくれ、うれしそうに話す。
そうしてる間に雪景色の町並みの最中でカメラマンがしゃがみこんで撮影してるところに出くわす。
どこからきたのー?と問うのでおもしろおかしく話してみたらそのままロケにされてしまった。
寒いですねーとか、いいところですねーとか話してじゃーねーとお別れした。
撮影はする側であっても撮られる側ってあんまりないのでどこ観て喋ったらいいのかわかんなくて
目がかなり泳いだ。カメラマンさんはディレクター兼ねでひとりでロケしてたから、カメラ向こうで
喋りながら撮影し、返事を考えながら撮るから間が少し空く。あとからそれはNHKだと知る。

こうしてその日の帰宅後、夜のニュースで私は自分の顔を見るはめになるのだが、「今日は
寒かったですね」的ニュースが始まって「高山も29センチ〜」とキャスターが話してるので
ほうほう、と観ててそこで「俺」がテレビで喋ってるショックときたら!
ないですよ。すっかりリラックスしてテレビ観てて、目が泳いでる自分を見かけて、とっさに
消しますね、テレビ。リモコンでサッ!と消しました。びっくりし過ぎでした。
あーびっくり。

んで、ふと思うのが、偶然、ってもんのありかたです。
今回のこのテレビ騒動に限っては、どーも偶然のような気がしないのです。
なんか起こる感じのする2日間でしたが、強いて言うなら「案の定」って感じなんです。
いやいやNHKに出る予感がした、とかじゃなく、普通じゃないな、ていう予感。

誰彼に喋りかけることをいとわぬ仲間、取り立てて無目的に面白そーなだけでうろつく町。
高山っていっても一般市民も息づくわけですから、平日の真っ昼間から生酒飲んで
ほろ酔いで歩き回れる訳もないわけです。折しも高山もびっくりな大雪で、実際町を歩いてる
だけで「怖さ」を感じるほどの寒さ、痛さ。観光客も出歩くのをためらう最中に
テレビだって大雪をモチーフに撮影に繰り出したところで、人通りは少ない。
ロケにつきあうほど悠長に、大雪の最中を酒飲んでウフーってなってる人なんか
捕まえやすいに違いない。いい気分でペラペラ喋っちゃってるし。

つまり、「全然一般人じゃない」振る舞いを続けている旅路であり、ぱっと観に
捕まえやすい情報がじりじりと電波で出てる訳です。捕まえやすい訳なんです。
見た目が奇抜とか、奇行で目立つとかじゃなく、内面が浮ついてて通常ならしない
行動をとってるので、「必然的」にそういったエピソードに恵まれてしまう、という
高いヒットレートがある!俺には!俺たちには(仲間も含めて)!と思った次第です。

偶然のように見えるけれど、偶然にならない理由の方がたんまりある状況で、
当たり前に面白くなってしまうという結果がついてきても、私は「そーだろーなー」
とか思ってしまう。「こーなるよなー」って方が感覚として親身になる。
積もり積もったものなのだ。自分のやってることも、やってないことも積もって発揮
されるのだ。

そしてこーゆー「図ってはできない面白さ」を予感する生き方を、過ごし方を心得ていて
トーゼンたどり着いた、って感じの方が信憑性があるのだ。

「失敗する人は、失敗する準備をしている」という言葉があったと思う。
「オモロイ人はオモロくなる準備をしてる」わたしはそう思う。両手離しに「なにもしてねー」で
なにか結実するってことはないと思う。

昼間出歩いた町も、教えてもらって行ったラーメン屋も、見かけたお寺でおみくじしても
酒蔵も、お土産屋も、ゴロ寝ばかりした部屋も、サウナも露天風呂も雪の嵐も全部全部
面白かった。ただ見返りなく好き勝手に過ごしてて、自分自身は楽しくって、トーゼン
他人にも楽しい空気は伝わるし、楽しんでる人って捕まえやすいじゃない。
それなんだと思う。小芝居や見せかけでなく、自然体でウレシーの出てる人を
他人はあんまり放っておかないと思う。ジョイントしたくなるもんだと思う。

偶然かどうか知らないが、自分の今の年齢的には「人生が、重く、苦しくなってる」人か
「落ち着いて、うまくいきつつある」人くらいに分類されるくらいにしかカテゴリーが
ないケースが大半なんだけど、前のエッセイで私が書いてるように、私自身も
今回の旅仲間にしても「なんだか面白くなりそーな気がする」という理由のない希有な存在
ふたつが合わさって、「案の定」面白くなっちゃった、だけのような気がする。

準備するんじゃなく、予感すること。
予感したものはふんわりとした輪郭で人をくるみ、味わいをよしとし、かもすように
人を濃厚にする力があると思う。
決めてかかるんじゃなく、たとえ自分の思い通りじゃないものまでも含めて「オモシレー」って
気持ちでいられれば、アッタリマエーに面白くなるもののようなのだ。
これに名前をあてがうにはどうしたらいいんだろう。うまいボキャブラリがないんだけれど、
まぁ私が大切に思うのはこの感覚なのだ。誰彼もがそうであることはないし、他人には発散されない
エキスのような、ホルモンのような、うっすらとした「おかしみ」で自分を生きれば
それは必ず、魅力になるって、思いませんか?

自分の外の物まで含めて味わい楽しみつくしてみせる、という決意ってできますか?
思い通りじゃないものまで全部引き受けてうははって笑う準備ってできますか?
それってねー、たーのしーんだよー。再現できないし。よそで味わえないし。
それって贅沢だもの。生きるのが上手な人ってそういう人なんじゃないかって、私は思うんです。

偶然?ううん。偶然じゃないよ、きっと。

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