子供の言葉使いがひどいのなんのとヌカす大人がいますが、私が気になってるのは
むしろ大人の言葉でして、特に意味もなく「要するに」って言葉を連発する人が
その発言を「要して」ないと血管が切れそうなくらいにハラが立つのでありますな。
「君の言ってるのは、ホラ、あれだろ、要するにさぁ・・」のように言葉のつなぎ
程度にしか「要する」ってあたりがつかわれてなくて、以後の会話でどこも
要してなくて、ただダラダラ話してしまうのは、不愉快なのである。
ただ、そこでの会話してる仲間の中で「要するに・・・」と切り出して、小さな発言の
機会を得るだけの、あってもなくてもいい単語なのである。
私は人の会話の中で、その人が伝えたいことのニュアンスをどううまく伝えるのかを
この「要し方」の善し悪しで推察する。軽妙に人へうまく伝える人は「要する」ときには
短く要してるし、例えの話も上手である。
返して長話で意味のない喋くりの人は「要するに・・」のあとの会話がジンジョーでなく
長い。長い!長い!!!熱心に喋ってるつもりなんだろうけど
「要せよ!」と激しくツッコミたくなる。話を簡略にまとめる自信がないなら、
あらかじめ原稿を用意するとかすればいいものを!とトサカにくるのである。
いや、誤解しないで欲しいのだが、みんながみんな喋り上手たれ!とかいってるんじゃ
ないのね。喋り方は人それぞれの持ち味があってこそ楽しいのだ。
「要するに」って言うときは少なくとも「要して」ほしい。それも端的にインスピレーション
しやすい単語でスッパリとね。
口慰みに「要するに・・・」とかいってる大人がたくさんいるのに、子供の言葉づかい云々は
的が外れているなぁ、と感じる昨今でした。