まんがを描いてて、フと気付いた。「どうしてみんなも試してないうちから
アッサリあきられめるんだろう」と。
試しっぱなしもかーなーりー非常識ではある。人間って自分の持ってる素養に
けっこう頓着していないのだ。
「今までうまくいったためしがない」とか「自分には得意になれるものなんてない」
とか凛として言える余裕があったら、ためしたらいいのに、と思う。
こういう考え方はおかしいかな。
「自分がいかになにもできないか、証明してみろ」
できる?
私はできない。どう、上手に「自分には才能もセンスもない」ってアピールできる?
やったことないでしょう?俺、これなら「ええっと、じゃぁ、これくらいならできる」
って見せる方がうまくできる。
自分が、どう「うまく、ダメなところがあるか」は他人には「どーでもいー」ので
あって、注目してない。これを指摘してくれるのが、友人であることにも
気を配って欲しい。あなたはいろんなことに挑戦できる人間なのだ。
失敗するかも・・・という不信感は自分にむけられるもの?
ほう、するかもね。いや、すると思うよ、たくさん。
で、だからなに?失敗したらどうなの?誰が死んでしまうの?
誰も困らない生活って、本当に人様に配慮してるからやってるの?
他人に理由を求めてる生活は、きっと他人を卑下してるところはないかなぁ。
あなたがなにかするところを、みんなはみているよ。
結果もさながら、「挑みはじめた瞬間」を見たがってるよ。うまくいくにしても、
はでにすっころんだにしても、あなたのそのあとにとる姿勢を注視してるよ。
あなたは、あなたがみせたいものを、他人はあまりみていない。
あなたは、あなたがあまり見せたくないところを他人は注目してる。
見せたくないところには、あなたの「本当」が詰まっているから。
隠しようもなく、生のあなたがデロリとこぼれているから。
だから。
だから、もし、あなたがなにもできないっていうなら、「どうできないヤツ」か
ぜひ挑戦してほしい。その表現が巧みにできる程、あなたはなにか気付く。つまり、「自分がいかにダメか」に挑みすらしない怠慢よりはあなたは歩みを
進めるのだ。試しもせず、確かめることもしないのは、自分の評価をかなり
早期から「低く」みつもってる、というと無遠慮な放言だろうか。