菅野よう子さんというのはすでに何度もここのエッセイでは登場してくる
名前なので、うっすらとながやエッセイ読者の方々には浸透している
と思います。
このたびまたもや感動した曲がありまして、つくづく聞き入っておりまして、
ふと気付いたことについてここにかこうと思います。
その曲とは「COCOA」というアルバムい収録されている「限りなき旅路」という
作品です。前奏曲からピアノではじまりますが、その旋律の挑戦的なこと。
私は楽器ができないので単調に「挑戦的」とかいったところで、詳しいことは
分かりませんが、聞き始めに「あ、こりゃあイカン、好きになる」と直感しました。
で、案の定、メロンメロンな状態になってしまいました。
作品と言うのはどなたの場合であってもはじめて作られたものであるのなら、
「新作」と称されるべきものです。ですが、「下手な音楽」「下手な芝居」「下手な映画」
などが「うわ、なんかのパクりやん」と感じることがあるでしょう?
それは作り手が「新しく作っているつもり」のものが誰かどこかでやってたことの
ただの焼き直しであることがあるからなのです。
菅野さんの曲はことごとく新しく感じますが、同時に「懐かしい」という形容が
実にマッチします。技法・アレンジなどはすで出回ったものなのですが、
彼女のアレンジにかかるとオーケストレーションでもジャジーなタッチでも
「他に類似品」をみつけにくい作品になるような印象をうけます。
厳密には現代音楽とかジャズに作品原典を手繰ることはできますが、
(スティーブ・ライヒとかね)それでもやはり作品においての音楽は
新鮮な印象を受けられます。
菅野作品の魅力は「童謡」のような存在価値です。はじめてふれても「新しい」から、と
トンガったものがあるでなしに、すんなり人の心に侵入してくる旋律で懐かしい気持ちに
させてくれます。「はじめてふれても懐かしい」とは恋への表現ですね。
あと、どの作品でも姿勢がとてもシャンとしているってことです。
子供騙しにテキトーに、という作品に出会ったことがありません。つまり、いつ、どこで
スタッフロールに「菅野よう子」とあっても、ほぼ確実に作品内に「ガッチリ」
こちらの心をつかむ楽曲がうまれていてくれます。この忙しい御時世に、「やっつけ仕事」
のような作品に触れないで済む、というのは意外に奇跡なことです。
作品にふれるとき、人は「期待」をして作品にやってきます。目的の感情があったり
(泣きたい、とか感動したい、とか)無目的に「なんでもいいからビビッときたい」と
作品に向かってゆくのです。
菅野さんの曲は期待をしてた人にもしてなかった人にもフィットし、旋律を心に
残します。それもずいぶんと高い確立で心に残ります。
ハデな曲調で目立つ、ということをしないだけに、その繊細さに潜む柔らかい
主張が心地よいです。ヒーリングとかいう音楽ジャンルも昨今ではありますが、
そうした単調な目的の音楽でなく、番組や映画のバックヤードの曲で、癒しを
できるくらいに、突出した威力を持っています。他のエッセイを読む