力はまんべんなく与えるものではない

力はまんべんなくかけるものでもない。
キャパシティを、ボリュームをもった、量に限りのある水の玉のような
ものだ。こぼせば減る。広げれば薄くなるのである。

形は自在だが、持ってるだけでは意味がない。
水はうまく使えば味となり、栄養となり、もっとも欠かせないものである。

しかし、土にもコンクリにもまいてしまうほどの「無頓着ぶり」なら、
水はすぐに底をついてしまうでしょ?うまく使えってのよ。

「自分で飲む」でもいいし、「種に水をまく」でもいいのよ。
でもまきちらすな。ザブザブと遊ぶな。ムダにしていいほどのつまんないものでは
なくてね、その、たったそれだけの量の水で、「なにかしでかした人」は、
その高みへ自分を運ばせたのだ。

いい?量に差なんてない。
うまく使うこと。
大切にすること。
大事にすること。
「なにもできない人」なんていない。
人は何にでも、何かになれる。
「それがわかんない!」人は「分かんない人」でいたらいいよ。
どのみち、キチンとぶち当たるようにできているから。
でも、してない分の決心で、何か得られるとは思わないで。
してる決心の分だけ、君には取り分がある。
そう思うと、ほぉら、なにか探そうって気にもなるでしょう?自由だけどね。

 

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