外国の企業や政府が日本のそれに怒るときに「知らないでは済まされない」
というフレーズがある。じゃあ日本国内では許されるのか、というとそうでも
ないのだが、ゆるいには違いない。
でもさ、考えてよ。「知らない」んだよ?知らないことについて責任や
「許せない」って言ってこられたって、対応のしようがないってものよね。
しかしながら、世界のほうが「知らないっていうのは、知らないのが悪い」って
のーのーと言ってくるんだから、こちらとしては構えておくのがいいので
しょうね。
人間ってさ、話せば分かりあえるものだと昔は思ってたのですわ。
でもね、人間の言葉を使ってのコミュニケーションってものには露骨な
差ってものがあってさ、どんなに言を尽くして話しても、理解しあえない
ってことは確かにあるの。悪意があるってんなら腹もたつんだけれど、
本当に「言葉の真意が汲みきれない」って人がいることに気付いてからは
「あ、説明しても無意味だ」と判断したら、こちらが離れることにした。
冷たい表現のようだけれど、「言葉」でのコミュニケーションが不得意って
言う人に、言葉でガンガンたたみかけても、拷問なんだし、相手に真意が
伝えられないってことでは、どんだけ時間を使っても「効果なし」なんだから
せめて悲しい気持ちにならない具合にことを収めておくのが最もすわりが
いいよね、と一見大人の対応のようだが、底の底の真意としては
「なーんでわかんないんだよ、つーか、会話でやり取りくらいできる
程度には鍛えておいてよ!」といういわれのない憤りで満ち満ちている。
でもそんなのはアルコールの弱い人に「どーして酒くらいのめねーのよ!」って
怒鳴り散らすのと同じ理屈なのね。もうどうにもこうにも無理なのよ。
アカンのよ。その人ごとに許容できるものの差があるんだから、許容できるものの
範疇で、傷つくところにまで、お互いに入っていかないのがマナーってもの
なんでしょう。
というと聞こえはいいですが、わたしにはこのことを別の言葉で置き換えています。
「私をあんまりガッカリさせないでください」という考え方です。
誰にもがっかりしたくないんです。いや、ガッカリしてるこちらが勝手に
期待して、希望してる人間像でないからといって、相手を責めるのは
オカド違いとも思うのです。それでも言います。誰にもがっかりしたくないんです。
ガッカリしないためには、過剰な期待をあらかじめしないでおくのが一番端的な
方法です。ですが、私は性格上、けっこう期待します。激しく期待します。
その人ができるギリギリの頂点はどこの辺なのかを大きく見積もります。
そして、その見積もりに対し、その人はどうしてるか?を見据えます。
そして「手抜いてる」とか「出し惜しんでる」と直感されたら、けっこう
露骨に憤ります。その人には事情があって、今の性格にめぐりつけたというのに、
私は「その人が本来できるものの破棄」の方が腹がたちます。
ずいぶんとひとりよがりな怒りです。それもけっこうマジに怒ってると
きてるから、かーなーりー馬鹿野郎です。きっと、俺。
その人ができる本当のことが押殺されている、「内的な殺人」の状況は
どうして非難されないんでしょう。人にいわなければ「夢」はなかったも
同然ってことでしょうか?たとえ失敗しても「はじめっからなにもなかった
んだから」と済ますんでしょうか。それは、そんなのは、がっかりなんです。
他人のことにしたって、そんなのはがっかりなんです。
ですから、人を見るときには、その人が「言ってる」ことと「言ってない」ことを
覚えておくことにしました。人の直感はだいたい正しいです。「言ってないこと」を
見抜けるのか?というとかなり怪しいのですが、かなりの確率で「言ってないこと」
というものは、言葉の端々に、しぐさの一部に、目線のうつろいに、顕著な
推察の材料を与えてくれ、予感することができます。言葉より雄弁なくらい
です。
返した表現をするなら「その人が言ってもいい、としてくれた言葉」と
「その人は言わないでおく、とした言葉」を、どこにボーダーを置いているか、で
その人の性格をつかませてくれます。
冒頭の「知らなかったんだ」ってことが「悪い」って話に戻るんですけれど、
「言わなかったじゃん」「聞かなかったじゃん」という次元のやりとりで
ヘコんだことのある人ってたくさんいると思うんです。「理解しあうって
難しい!」とかいうこといってんじゃないです。
黙ってるってことは、その人の雄弁さなのです。言外の言葉。
「言わないでおく」と決めているところ。
「言葉にはしないでおく」としたところ。
「伝えないでおく」と決心したところ。
それでその人を「そうなのか」、でいいじゃないですか。
「ああ、そうなんだ」でいいじゃないですか。
理解しあうことは大事だけれど、「理解しきる」って気概で人へ接していくと
お互いにやけに傷だらけになるんです。言葉だけで理解しあおうとすると
どうしても見事に言葉負けする。言葉に長けている人には言葉の鋭さゆえに、
言葉に頓着しない人にはその語彙探しの下手さゆえに、自分の言葉の無力ぶりに
脱力するのだ。
「知らないっていうのは、知らないで済ましてるヤツが悪い」、ウム。
「言葉としては聞いてないけれど、アイツの思ってるところは察しがつく」と
いうのでいいでしょう。そこいら辺で「知っている」とすればいいのです。
言外の言葉。そんなに他人を分かりきってどうする!だよな、そうだよな。
おせっかいなエッセイだな。うざったいエッセイだな。うまく書けたぞ。
「知らない」か。
「知らなかった」って言っておくのが楽に済むもんね。
「知らなかった」と気付けたときは、「知った」時なんだよな。
それはまんざら、悪くもないよな。きっと。