これまでに「シュリ」「8月のクリスマス」「JSA」「カル」の
順番で見てきたことになる。どれも面白い、というか、「いい映画」だと
思えました。隣の国、韓国に、日本はもう映画は負けている。負けている。
韓国の映画は今洋画のなかで一番面白くて素敵だ。
「どう素敵」をこれまで何度も挑戦したけれど、どうしてもそのニュアンスが
うまく表現にまとまらないので、とっととあきらめることにしました。
つまり、このエッセイは好みについてダラダラ書くことになるので、
その気のある人のみ続けてお読みください。
そもそも、「シュリ」以前に韓国映画といえば、エロスを指していました。
それがなんだか「シュリ」でものすごく韓国は面白い、ということに
なりました。ビデオ屋にあっても香港映画と台湾映画がごちゃなままのように
シンガポールも韓国も映画ジャンルとしては「中国映画」にまとめて置かれて
いるのが実情です。それが「シュリ」以降は「韓国」がジャンルになりました。
これが未だごっちゃな店は映画に頓着しない店といえるでしょう。
で、「シュリ」はそんなにスゲーの?っていうと、それほどそうでもない。
「いい映画」ではありますが、それは比較の上の話しです。比較、とは
「アメリカ映画」と「アニメ」「邦画」と、でしょうか。
アメリカ映画はユニオン(組合)にがんじがらめな上、伏線のはり方、
物語のドンデンのタイミング、配役の人種、商用としての映画システムが
コテコテすぎて、どれもまったく面白くない。映画慣れした人には
ムカつくくらいに同じ映画しか見られない。
誰が演じても大差ないようなシナリオに、どうして思い入れできましょうか。
大ざっぱにいって、アメリカ映画は「つまらない」。
アニメは相変わらず、ギャルとできあいのファンタジーでパンパンなので、
客層も狭いままで、アニメ以外からアニメに入っていける作品そのものは
少ない。つまり、客層そのものの開拓についてあまり巧みとはいえない。
いい作品は山のようにある。今日も「R.O.D」を見ていい作品だ、と
うなったところ。洋画よりも邦画よりもアニメは面白いし、若手も
育っている文化。世界に日本のアニメは出ていくけれど、「世界の
アニメファン」が増えるのであって、映画ファンがアニメを「映画」として
評価をしていく方向には進まないと思うのね。
大ざっぱにいって、アニメは「面白いけれど、シェア比は変わらない」。
邦画。すでに滅んでいる。客はすっかり離れている。
若手は外国の映画賞狙いでしか日本の配給システムへ食い込めるチャンスを
模索できないところにまで追い込まれている。こんなに映画を評価できない
国ってのもそうそうないと思うんだけれど、とにかく国立の「映画研究・
製作・育成」をしていない先進国は日本だけ。
で、作れる映画は「ヤクザ」と「時代劇」。あとはテレビから派生して
細々と映画化を狙うメディア経由の「売れ線映画」。役者も育ててないから、
演技のできる人は小劇場からイケてる人を引用してくるので、精一杯の
様子。
大ざっぱにいえば「ホントはもう見たくないけど、せっかくの休みだってのに
見られる映画が『他にない』ので字幕のない邦画でも見るか」。
さて、韓国映画はどーか、って話しなんだけど、普通。
普通なのよ。私たちが良く知ってるいい映画だ。
アメリカ映画がこのごろ「映画を売る」ことが必死すぎて、映画そのものより
「売る!売る!」ってのが映画に映っちゃってる。それが韓国映画にはない。
アニメはギャルと声優の掛け合いでウットリで、どことなしに「身内」で
外に目が向いてない。それが韓国映画にはない。
邦画は「映画そのもの」への愛をくすませるほど、混迷にあえいでいるのを
隠せないほど衰退している。韓国映画にその手の自信喪失はない。
日本人、韓国人の感情はいつも表情の奥の方にある。表には出てないのが
基本的に自然。オーバーモーションで誇張されたテレビやバラエティの
芸人、芸能人が不自然で不愉快なのを、見ている私たちは気付いている。
だから一見無表情にみえるハン・ソッキュ(シュリの役者)の感情表現は
わかりにくいふううでいて、その実、とても分かりやすい。それがリアルって
もんである。無表情の中で、芝居を予感させてくるから、「ああ、この人は
プロだ」と思える。
それに「緊張感」。
ちょっとよそ見してたら、物語のいいところを見失うような、ちいさな
焦燥感がつねに韓国映画にあって、目がそらせない。物語の展開そのものは
簡明なので、ツイと横を向いてもよさそうなものなのに、映画の流れの方に
気持ちを預けた方が気持ちいいのだ。つまり「少し早めのモンタージュ」が
韓国映画の自然なスピード。芝居も「芝居芝居」させてないから見ていても
余計な心配なく楽にしていられる。つまり、役者さんがその本来の仕事を
きちんとしてる。邦画の役者を見ていよう。アイドルあがりの「芝居」って
ものになんら「重きはありません。ボクは知りません」を吐露して平然と
してる芝居で、見ている観客の方が「まぁ、しゃあない」と許すことでしか
見続けられないじゃないか。苦しいよな、これは。韓国映画はそれを
感じない。これは「役者がうまい」っていうあたり前のことだったのに。
韓国映画は無駄な装飾をしない。これは楽だ。
BGMすら、他の国の映画の中でも少ない。物語のリズムがしっかりしてるから
音楽で作り手自身をだまさないでいる。きちんとした音楽を作れる作曲家が
そのメロディだけで人々に印象されるがごとく、いい映画を作れる人達は
その表現に使う材料をあまり多く必要としない。映像は「リズム」だから
本当は「画像のつながり」だけで十分人を魅了できる手法なのだ。
白黒映画のサイレント映画が面白いのは、それを目のあたりにして感覚が
「面白い!」と叫ぶからだ。韓国映画はそれを感じさせる。
上に挙げていた「シュリ」「8月のクリスマス」「JSA」「カル」の
4作品、すべてにいえる。普通の「いい映画」なだけである。
ただ、その、普通の映画ってやつができてないのが、アメリカと、アニメと
邦画、ってな話をしたいがための引用のようでもある。でもそうでもない。
友達と、恋人と、映画をみて「よかったねー」と切り出すのなら、
今は韓国映画だ。いい映画がたくさんあります。