テレビでヤングが歌ったり、はしゃいだりしてる。元気そうで
美しくて、魅力的で、それっきりだ。だからわたしには
うらやましいものに映らないのだ。彼等、彼女らは、もう、そこが
頂点だなんて、なんというか、「浅すぎる」と想うのだ。
若くて、精力的で、魅力的であるなら、それはそれでいいことよね。
誰もにそうしたチャーミングさが備わるもんでもないものね。
でもさでもさ、足りないのよ、それっきりじゃあ。魅力的ってだけじゃあ
パンチが全然足りない。そんなんじゃない、その人がその人なりに
作りあげてきたもので、ひとつ、キラリとして交換が効かないもの
だったら、それが一番伸ばされるべきものだ。
人は、会った人がどれだけの人間か、値踏みをしてしまうものだけど、
一緒に「将来どこまでのことをするだろうか?」という未来への
期待度も予感する。その尺度でいくと、「今、輝いてる」人間は
少しばかりものたりない。目の前にあるものは、人にとって、退屈
なのだ。目の前のものがグランドフィナーレだとしたら、あとに続くのは
小さくおさまってゆく終焉のさみしさだ。
「まだ来ないグランドフィナーレ」、それこそが人が期待しているもの。
ずっとそれが続いてくれるものを、人は期待してる。ウキウキとした
気持ちで、ゆるやかに続く上り坂は心地よい。
いい作家作品というものは、最新作が素敵だけれど、その作品に続くであろう
ものへも期待してて、この先ってものにまでウキウキできる。
下手で底の浅い作家作品には「ああ、そう、ふうん」とつきあいもこの作品
きりだよなと「見限る」。そうしないとつまらない作品に心を害されることに
つきあい続けていかなくちゃならないからだ。
つまり、いい作家作品のやってる「仕事」は「目の前」のものと、
「まだ見せていない」ものがある。下手な作家には後者がない。見えてこない。
この「まだ見せていない」ものとは、もちろん世の中に出回っている
ものではない。まだ、誰も触れていないものを、その人が予感させて
くれるなら、人は本当の意味で魅了されてしまう。「今、そこでないもの」は
人にとって魅力的。今、そこでいることを、満足に思えている人間は
ほとんどいない。その「欠損した感じ、でもそれがなにかうまくわかんない」
ゆえに、人は「もしかして、これが足りなかったもの?」と直感してしまう
ものに出会うと、意外になりふり構わずゾッコン思いいれてしまう。
直感でしか予感できないから、それが本当に期待してたものかどうかは
いつだって曖昧でフラフラした感じのもののまま。それをしていない人は
それに出会うことすら機会がない。
精一杯な人、はけっこう見かける。そうした人は、おおむねそこで
ピークを向かえている。切り札も奥の手もなく、「もう打ち止めです」って
臆面もなくアピールしてくる。その人そのものはうれしそうなのである。
一生懸命で、精一杯で、今、自分は発揮している!、と思っているからだ。
「カラオケ」になると俄然輝く人っていますが「こここそ私のクライマックス」
でキラキラしてる。うん、そういうのはそれでいい。
手のうちを明かしすぎる人は、なんだかまるで「誰彼かまわず自分の
失恋話を語ってしまってる人」のような、安直さを感じて、その人が
本来「醸せる」であろうユニークなものへとたどりつかせない。
さっさと懺悔してしまえるのは、その人の本気具合を疑われる。
ユニークなものを育む場所は、その人のブラックな面がムクムクとふくらんだ
土壌の上。人と語り合って吐き出してしまうようでは、ユニークな
ものにまで育たない。なんでもかんでも喋れてしまう人はストレスが
少なくて済むけれどね。うん。
大きなステージを自分に与えようとしている人間は、その辺のリアクションで
予感できる。その人にステージの大きさを見つけることのできる友達って
いるでしょ?自分に不相応なことを言ってる人ってのは、「期待してる
サイズのステージと、その人がそこでは役にたたないと先に分かってしまう」人。
反対に期待できる人って、ステージのサイズと、その人がそこでその人を
発揮するに足るものをもっていると傍目にも分かる人、だもの。
人はぐんぐん魅力的になれる。年寄りになるほど面白くなるはず。
ユニークなものはぐんぐん積み重ねられ、醸され、いわく言い難い、そして
交換の効かないユニークさを、人の数だけ見受けることができるはずなのだ。
それをさ、若さだとか元気さだとかでさ、若いうちに「ピーク」とされちゃってる
人見てるとさ、あらあらとか思ってしまうのよ。本人も今こそピークって
思ってるところがまたまたアサハカとおもうのよ。そんなものメディアで
見せないで!って思うのよ。
グンとデカいところを見つめている人を見たい。
それに相応の人であろうと立ち向かっている人を見たい。
今、そこにでちゃってるものが、つまり、それがピークなら、
あなたは早々に終焉のさみしさを感じはじめてしまうのだから。