やりくりやりくり

やりくりをしております。日々の生活に倹約せな生活に
響く生活をしております。服を買うでなし、遊びを
するでなし、毎日ご飯を作っておるのに、日々切迫して
おりますが、精神面ではケロリとはしておるのです。
なんせ学生のころも貧乏というのはあんまり苦では
なかったです。それは私が今、なにをしなくてはならなくて、
なにができて、なにはしなきかをキチンと決めていられる
からでしょう。ともあれ、買い出しは1円でも安く、という
主婦の店通いは日常の風景となってまいりました。

昨日まで、給料日前で、米は切れるわ、コーヒーは切れるわ
茶はきれるわ、ガソリンはなくなるわとてんやでわんやな
状況でした。まず米を買いました。皆さんは今の米の
値段を知っていますか?10Kgで3000円でおつりの
来る店がどこだかしっていますか?私は分かります(エヘン!)
ネスカフェ・ゴールドブレンドの大瓶の値段を知ってますか?
昨日は3件めぐって「680円」ってのをしとめました(エヘン!)

年末のせいか、みるからに大学生の男女5〜6人が、鍋の
仕込みをするためよ〜♪ってキャーキャーいいながら、
普段姿をみせもしない食料品売り場で見かけるように
なりました。肉や野菜をうれしそうにワイワイいいながら
買っていやがるそのはしっこで、わたしは100円分浮かす
ための熾烈で、沈黙の戦いをしておるわけです。
が、これが苦痛でも卑屈でもなく、楽しかったりするんですな。

一人身ですから、賞味期限の危ういのやら同じメニュー
3日でも4日でも平気なわけです。口にするものがあれば
納得できるわけです。食うっていうのは毎日のものですから
手抜くことができないわけですね。これは実家にいるときに
忘れてた感覚なんですが、自分で食べるものを作る、というのは
実は大事な作業なのでは?ってことです。
食べるものがなにで、そういう事情でそれに決まり、どれだけの
量が確保できたのか、そしてそれを食べている自分という姿。

人にご飯を作ってもらったり、外食しているときにはしょって
しまう部分。自分が決めるものがたくさんある自炊。
いくら吉野屋の牛丼が280円でも、マクドのバーガーが
平日65円でも、わたしの決めたじゃがいも100円&
玉葱100円&100グラム98円の豚肉でできた肉じゃが
4食分の方がごはんとともにたっぷりと腹におまさるわけです。
ごちそうさま、といって、オイシイお茶もいれるわけです。
味付けなんてドンブリ勘定で「おもいつき」の量加減なんです。
カレーなんて作ろうものなら、そりゃもう腐るギリギリまで
いきますね。

大事なのは「食べるものに困るかもしれない」ということ、
「住まうところに困るかもしれない」ということなどを
自分に感じていることだと思う。
誰かに与えられたり、譲ってもらって手に入ったものは、
こちらの「渇き」に対してものではなく、なんというか、
相手には悪いんだけれど、こちらの「手にいれるまでの
決めてきた気持ち」の部分が欠損してる。
気持ちってのはそのときどきに発生するものじゃなくて、
積み重なって、ある量に達したときに、ポンと出るものの
ように思えるのね。
給与明細をみて「うわぁ!今月、ヤバ!」という決意がある
なかで、1食ごともまた勝負となり、仲のいいメンバーに
「ながやさん、食べにいきましょう」ってのを「うっ、ゴメン」と
お断りするのも大変なわけで、見たい映画も本数をしぼり、
生活全般に緊張感がみなぎり、「なにしてんだろ、俺。俺の
やりたいことはできているんだろうか?」と振り返り
実力のありようってものをとっくり結論できるのだ。

ぼんやりしてしまう生活がどんなものかも分かってくる。
自分のはしっこからはしっこまでを知るには、ご飯を
自分でまかなうことはいいものだ。どこまでのことができ、
どこまでのことをしようとして、どこまでの決意はできて
いるのか、生活を通じてビリビリするのだ。

今の1食をオイシク食べる、だけなら誰でもできる。
継続的に食べるものを決めて、総じて自分がどうして
いきたいのか、そうしたものの流れの中で「食べる」ものに
まで「訳」がついてきて、かみしめて、飲み込む。
そうして食べたものは自分の体を作る。日々決心が
なんだったっけかを自覚を迫り、かみしめて、飲み込む。
うまくても、まずくても、決めて、作ったものを、残さず、
食べる。自分で作るものを、今度はうまく作ろうと日々
思わなくてはすまないようになれる。どうせ作るならうまく
作ってやる方がいい、と思えるようになる。
食べるものをいいかげんにしてしまえば、キチンと体調は
崩れるのだ。うまいことできてるなぁ。

自分のやってるやりくりはまるまる自分に返ってくるのだ。
忙しくても、困ってても、飢えてても、かまやしないのだ。
「自分のしてるつもりの決意」がぼんやりする恐怖を思えば、
いくつかの重なる困難は、避けるには惜しいチャンスたちだと
わかる。
楽、ではない。でも「楽がしたい」わけじゃない。100円の
やりくりに四苦八苦してるのはただ、みすぼらしいのかもしれない。

ただ、わたしには「みすぼらしい」とちょっと違う、と
表明ができていれば、このエッセイは任務完了である。
半年前の私と別の血が脈打つのが今は分かる。やせてきては
いるけれど、血のめぐりはずいぶんよくなってきました。ハイ。
望むところです。

他のエッセイを読む