2002年1月20日現在、アニメーション「コメットさん」は
地上波で来週最終回を迎えようとしている。次回予告でコメットさん
自身が「次回『コメットさん』最終回」って言った時には、わかってた
つもりなのに、鈍器でドカンと1発いただいたようなショックを
うけてしまった。なにかのミスで、「まだまだ続くよ、キラッと
お楽しみに!」って言ってくれることをどこかで期待してた自分がいた。
ちなみにCSの「スカパー」の「AT-X」では毎週2話づつ追って
放映してるので、実質的にはまだまだ私の中ではコメットさんは続くので
あるし、レンタルビデオ屋なんかでもレンタル開始してるもんだから、
会いたい時にはあえるのだけれど、それでも「いつかは終わりがくる」
ことが来週目の当たりにしちゃうもんだから、それはもうなんだか
うれしいやら悲しいやらなのである。
「コメットさん」は最初、期待してない作品のひとつだった。
なんで今さらコメットさんナノサー、などとふてくされた三十路を越えた
アニメファンという、コメットさんにはうれしくない荒くれ者だったが、
あるとき見るともなしに見たコメットさん1話にドキリとしてしまった。
コメットさんは可愛い猫車掌の運転する星形の車両の汽車に乗って
地球にやってきた。コメットさんはトワールバトンに「星の子たち」の
力を集めて、「ほしちから」を発揮することができる。お付きの
「ラバボー」と一緒に地球の生活を開始するのだけれど、その一話目では
「ほしちから」が足らずに、コメットさんは精一杯の力でだせたものは
メロンパン1こであった。当然お金なんかないし、住む家もないまま、
雨の降り始めた公園でメロンパンをパクッといくコメットさんは
ついに泣き出してしまう。そんなところを幼稚園児のツヨシくんと
ネネちゃんに助けてもらうのだ。この、見つけだしてもらった時の
コメットさんの泣きながら、メロンパンを口に含んだままの情けない
顔に、わたしは「まいった」のだ。すっかりまいったのだ。
やばいくらいまいったのだ。あの時、この作品は素敵になる!と
確信を得たのであります。
昨今のアニメのギャルてんこもり状態やら媚び媚びポーズ、ありきたりな
男性キャラオンパレードに無配慮なストーリーあふれるアニメ界にあって、
コメットさんは大事な1話目で、情けない顔をきちんとしてくれたのが
うれしかった。そして「この作品は大丈夫なんですよ」ってささやいて
くれたような感じがした。立ち上がって、走ってばかりのアニメ作品の
中で「座っていいよ。好きなだけいればいいよ」って言ってる感じが
もりもりしたのだ。だから、うれしかった。 そう、うれしかった。
その後、コメットさんの物語は同じく王子を探すメテオさん
(意地悪キャラね)もからめて、王子探しをしつつも、「輝き探し」と
いうキーワードで進んでいくのですが、いや、この、「輝き探し」と
いう視線のよさがまいるのです。
人にはみんなどこかかしこかに輝くことのできるものがあるんだよ、という
「やん!チープ!」ってすましがちな言葉に、実は心底期待をしてた
自分ってものがあってさ、ズキュンと打ち抜かれる訳です。
それは相手の刃物が鋭くてまける喧嘩ではなく、こちらから武装解除を
したような潔さを、この作品は誘導するでなく、するりとやってのける
のですから、いかに斜にかまえた小生ごときでも、その一見壊れやすそうな
作品の方へ近付いていくしかないジャン!とかいって、あわてて
走って、追っていってしまったのです。見過ごしそうだったのです。
あやうく触れないで済ましてしまいそうで、焦ったのです。この作品を
みないわけにはいかないぞって思ったのです。
魔法魔女ッ子モノと混同されがちなんですが、まったく違います。
この作品は、ふさぎがちな気持ちに「いけないや」って思ってる人に
一番効きます。もうあきらめきった人や「アニメなんて見ないよ」って
人には意味がありません。心のどこかに今の自分が少しばかり、
「あああ、いかんですなぁ。こんなんじゃなかったのになぁ、ワタシ」って
思ってる、そうした崖っぷちにある、まだ「期待」のしたい人には
たまらない刺激を加えてきます。ああ、そうだった、期待する気持ちって
そうだった。ああ、そうだった。まだできることがあるや。
ああ、そうだった。私はもっと見るべきものが、知るべきものがあった、と
「ホントはわかってる自分」に燃料を注ぎ込んでくるのです。
心当たりのあるところに、自力で燃え上がらせる力を感じさせてくれるのです。
コメットさんが素敵、なのはともかく、コメットさんの素敵なところは
コメットさんの周りが、コメットさんを介して、輝き磨きに入って
いけるところです。コメットさんの恋とかを物語のキーにすることも
ありますが、それはウキウキドキドキのそれではなく、楽しむ恋では
なく、どちらかと言うなら、「好きゆえに、応援してしまうがために、
ケースケは遠くで頑張ることになる」ので、距離としては離れてしまう
ものなんですね。これはコメットさんの作品性を暗示してます。
世界一のライフセーバーをめざすケースケを応援しちゃうコメットさんは
試合で叫びます。
「あたしが知ってるケースケはがんばってたもん。
だから、勝って!」
ケースケは勝ちました。その時、コメットさんはさみしそうな顔を
しました。言葉と気持ちが一緒じゃないときがあります。この時の
コメットさんがそうでした。
ケースケはコメットさんにお別れを言わずに旅立ちました。
コメットさんもきちんと顔を合わせられずにこっそりお別れの言葉を
なげかけました。恋の成就は問題じゃないのです。相手を思い遣るときに
感じる、静かな音のないサミシサに、そして、本当に意味でする
「応援」ってものに、この作品の深さを思うのです。
ある回ではコメットさんは男にもなりました。男同志でなら
話ができるかも、と期待をかけてみたからです。
「男とか、女とか、どうしてそんなことになっちゃうんだろう。
全然、そんなんじゃないのに」
これは、ぼくらの誰もにどこかかしこかに心当たりのある言葉じゃ
ないですか。
クリスマスの日のエピソードにしても、コメットさんはみんなの喜ぶ顔を
みたがって、サンタびとさんになります。コメットさん自身の歓びを
考えた時に、それが一番すんなりしたのです。うれしそうでした。
人を好きになったら独占したくなる気持ちが自然なのよ、とスピカ
おばさまはコメットの気持ちを見抜きます。
スピカおばさまが時々相談にのってくれます。同じ星びと出身ですが、
彼女自身は星の子とのお別れを知ってる大人なのです。コメットの
隠した気持ちの方にいつもピーンときてくれる、素敵な大人です。
コメットの見せてる方の気持ちじゃなく、コメットが出したいのに
だせないでいる気持ちに気づける大人。
そしてやっぱり「独占」ではなく、楽しくありたいと結論するコメットに
スピカおばさまはいうのです。
「そうよね。
コメットは、そういう子よね」
ここに書いてるようなことは作品をみたらば全然力なく、自然に、
沸き立つ泉のような、静かな元気にあふれていますから、今さら
私がかくまでもないですし、むしろこんなエッセイでなく、作品を
見ていただきたいのです。
クリスマスも年末も、私はしゃにむに働いてました。
なんだか疲れ切っていました。ひどい一年だったような気がしてましたし、
やることなすことうまくいってないような感じもしました。
こんなまま一年おわっちゃうんだなぁと思いました。
そんなおり、ふとCD屋さんで「コメットさんサントラ」をみつけたので、
雪の中、ホクホクして買い付けて、聞いていました。
泣きそうでした。
後日、それが2作めのCDだと気付き、あわててまる一日かけてCD屋を
めぐりめぐりまして、ふたつ隣の市で10件目くらいにしてようやく
1作目のCDを買込みました。
今度はうれしかったです。
年始。
いつもかってるDYDOの自動販売機で年始早々、1本おまけが当たりました。
無性に自分に元気が湧いてきてる感じがしました。ようし、やるぞって
訳のない元気がみなぎってきました。
そんなおり、コメットさんの打ち切りを掲示板でジャガが知らせて
くれました。かなり、ショックでした。
困った、といってもいいでしょう。
いつかは終わるだろうけれど、今月一杯とは。
そして今日、コメットさんはテレビで「次回最終回」と予告でいいました。
やっぱり終わってしまうようです。王子もメテオさんも帰り支度に
はいってました。撮り溜めしてきたコメットさんを見返さない日はありません。
タカラの「トワールバトン」を買込むつもりは毛頭ありませんが、
なんというか、こう、指のすきまから砂がするすると抜けてゆく感じです。
コメットさんという作品があってくれたことで、私は随分と考え方を
ゆるやかにすることができました。アニメなのに?そんなこという人は
ばか者です。アニメってすごいんですよ。コメットさん見て下さいね。
私がやりたかった作品世界の一端を、とてもうまく作っていました。
クヤシイより先にうれしすぎました。
サントラも素敵です。音楽の優しい感じもコメットさんにぴったりです。
子供にみせるのならコメットさんはぴったりです。ほんとうにありがとう。
来週、最終回です。コメットさん、最終回です。コメットさん。