飲みながらのエッセイ

このごろは自室でゆっくり熱燗というのを、ほんの少し飲むのが
おいしくなってきた。まったくのマイペースで、気も使わず、たらたらと
なにを考えるでもなく、それでも漠としたなにかをトロトロと思索
しているのがちょうどいい感じなのであります。
ってなことを打ってるキーボードの脇にも実家からくすねてきたぐい飲みが
ちょこんとありまして、チミチミとすすってるわけです。

ビールってのがいよいよ不味くなってきまして、まぁ付き合い程度に
馬鹿話しながらワイワイってんならまぁ飲まないこともないですが、
自分から進んでワーイ、ビールってことはまぁないのであります。
夏に新聞とったら新聞屋さんがくれた1ダースがほとんど残っている
あたり、いよいよビールあかんかしら?って実感するんですな。

あらかじめ言っておきますが、私は「酔ったイキオイで」とか
「酔ってたから」をまったく考慮にいれない人間です。
酔いたがってた人間を凝視しちまうほうです。ですからこのエッセイは
酔ってたからでたエッセイ、とゆーわけではありませんので
安心めされよ。(なんの?)

さて、春を目前に、知ってる人間で「東京に挑戦に行く子」やら、
「仕事を思い切ってやめよう」としてる人やら、ついにフリーターを
やめてまっとうに行こうとしてるヤツやらで、表っつらとは別段の
モゾモゾした感じのする最近なんですわ。みんなハラハラしてるのね。
(ハラハラしてない人は、もうとっくに落ち着いてるのね)
(ゆえに、見守る理由もないのね)(面白みもね)(よけいな御世話よね)

んでね、「無理をする」ってことがみなさんなりに、いろいろあるようで、
ある人はブッチ切れ、ある人は遠慮から断念したりと、「無理を通して
道理をひっこめさせる」輩と、「ホントは自分がどんだけのモンだかわからない
くせに、ひとつばかりの『無理』にぶつかって、早々にケツをまくる」人
ってのがよぉく見えるようになってきた。

ムチャや無理を言う人はごまんといる。それはいいこととか悪いことってのとは
チト別の次元のものかもなぁ、とこのごろは思うのです。

自分が人に対して、うまく「折れる」ことのできない人は、自分が折れられない
ゆえに被(こうむ)る実害ってものにも覚悟ができてる。そのかわり、少し
ばかりの無理を、自分の周りに通させる環境を構築してる。

一方、器用さゆえにすんなり「折れる」ことのできる人もいるけれど、
これは信念の欠除や優柔不断さからもできることでもあります。
実害を受けないかわりに、平穏さをGETしてたりします。
周りや他人に通す「無理」をあんまりしない人です。
そして通したい「無理」なんて、ホントはあんまりない人でもあります。

わたしは放っておくと、ぼんぼん折れる質の人間でした。
譲れるとこならけっこうスイスイ譲る方だと思ってました。
んが、譲れないところに関しては、随分と無理を通させようとする意固地さも
あることがこのごろようやく「自覚」できるようになってきました。

う、熱燗がヌルくなってきて、ノドにいい感じ。

あんまり普通じゃないのもわかってきました。異常、ではありませんが、
普通じゃないな、とは思うのです。普通、がなにかはよく知りませんが。
つーか、どーでもいいですが、まさに。

春、周りがバッタバタしてる中で、自分の姿勢はどうか?と見返す機会が
けっこうあったのです。んで、勘付いたのは、かなり周りの人を巻き込む
やり方をする人間だったのだな、という自覚でした。

いいも悪いもなく、ただ、巻き込む奴だな、と思ったのです。
そして、暗に周りの方を「折れさせる」やりくちをする奴だな、って
思ったのです。初見では腰がひけてる印象なはずですが、かなり意固地に
進もうとしやがる奴だな、と思ったのです。よくも悪くもなく。

実際、私は調子の悪い時、スランプの時も、あんまり落ち込みきる
ことがあまりありません。それは心のどこかで「きっとなんとかなる」と
期待しまくっているのです。恐いのは、自力でなんともナラーンって時には
たいてい周りの誰かが「じゃあ、これはどうだ」って新しい突破口を
示してくれることが多いってことです。周りが助けてくれます。
なんていい人たちだろう、と感じます。私がろくろくなにも手助けしてない
自覚があるだけに、それでも助けてくれる人がいる、というのはなんと
いいものだろう、と思うのです。

つい最近も助けられました。トッコトンまずい状況にあった私を励まし、
方向を感じさせてくれる人間がいました。家族でも友人でもないというのに、
そうっと助けてくれました。わたしはそうした人のさしのべた手に
どんなお礼ができるのかもよく分かりません。(まだ2日前のことですが)

そして結局、私はわたしがしようとしてる「譲れない方の無理」を邁進して
しまうのです。譲れませんので、謝りもしません。こっそり「ごめん」と
呟いてはいますが、それでじゃあ諦めるかというと、とことん突破口を
探すばかりで、結局相手が折れてもいい具合のところに軟着陸させる
ことを目論む男だなぁ、とは思うのです。いや、それもサッソーと
そうできるのではなく、私自身の「不器用さ」ゆえに、自分がうまく
折れるやりくちが分からず、結局のところ、他者の方に折れていただく
方法ばかりを考える姑息なバカヤローのような気すらしてきました。

私は自分のやりたいことが分かっています。それを達成するための無理は
通します。ですからいくつかの道理が引っ込むのです。それでいいと
思っています。腰をおろした人間には道理も重要ですが、道理に負けてる
程度の「やりたいこと」なんじかじゃないので、今のところは道理に
折れてもらっています。それも比較的、みんなが許しやすい具合で。
それくらいの配慮をしてるフリくらいはします。モロバレでも。

激しく勘違いしてるかもしれません。勘違いでもいいなと思います。
楽しいのです。とても楽しいのです。いや、苦しいこともあるけれど、
いやいや、エンゲル計数がやたらに高いとか、ほっとんど遊んでないとか、
まぁフツーの人ならできてることのいくつかがまったく欠損してるんですが、
重きがそこにないので、別段苦痛でもないです。
これは、つまり、楽しいってことだと思うんです。
いい方向に向けてるな、と自覚があるんです。人の尺度がどーでもいい
気持ちでいられる人間は、世界に勝っています。
(私は自分の笑ってる様子は楽しそうだと思います。人に対しても)
(でも昔、一度だけ『君は笑い過ぎだ』と言い当てた男がいました)

酔ってるか?俺?
いや、そーでもないな。けっこううまく表現してる。

あとは結果に出すものができるか否かのこちらの裁量です。
ここんとこ口ばっかりのバカヤローでした。猛省したので、もうやみません。
つーか、ちょっとうかつにも、うまくやれそうな気がしてきました。
仕込んできたものをいくつか発揮できるように頑張ってみたく思います。
うまくいったら発表しますね。

ふっ、変なエッセイだこと。だって書きはじめの時のタイトルなんて
「日記」だったもんな、このエッセイ。つらつらと書く、って意味でなら
このスタンスで書くエッセイの方が本来なのかもしんないな。
いつも書いてるのはいささか意図を明確にしたがり過ぎかもしんないです。
でも書きたいニュアンスがだせていられればよしとしよう。ではまた。アデュー!

 

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