私について言えば、誰かと比較されたり比較したりするのが大嫌いだ。
その人は、その人そのものでしかないし、それ以外ではないのだから、
その人そのものを見られないようなら、その人と一緒にはいない
方がいいと思っている。
誰かと、貴方を比較する、というのは失礼な話ではないか。
貴方は貴方を一番いい形で、今の今まで決めてきているんだから、
貴方が気に入ってようが、いまいが、あなたはベストな存在なのだ。
それを安易に誰かと貴方を「比較」させているなんて、そんなのは
まぁ相手の勝手ではあるけれど、それによって貴方が傷付いたり、
悲しくなっているのを見ているのは、どうにもたまらない。
貴方がそのまま貴方でいたので、私は、そうか、君は面白くて
素敵だな、と感じたのだし、今の貴方は私に重要だと思えたから、
私はあなたを友人に思えているのだ。その私の印象も大事にしてね。
貴方が誰かのために、少しばかり努力をして、誰かのために変化を
することは、あなたの決意だし、尊重もするし、応援もする。
出来うることなら協力できることはバンバンする。
もし、ダメになってしまった時には、もとの貴方ではない状態だろう。
きっとなにがしか、欠損した感じの貴方を自覚してる間は、貴方は
自分の調子を戻せないだろう。悲しいし、苦しいし、誰にもその
共感を理解してもらえない印象を心に残すと思う。
そうかもしれない。
わかんないのかもしれない。
分かるかも知れない。
あなたが調子を戻してくれる日は必ずやってくる。
それにはいろんな工夫がいることになるだろうけれど、
それでも調子のでてくる時はある。必ずくる。
その日に準備して、私はこのままのペースを維持しよう。
あなたが元通りでも、あなたがなにか変化してきても、それはあなたの
決めたもののベストに違いないものだから、その話をいつかきけることを
楽しみにできるよう、じっくり座って待つことにする。
自分がこれから進む道のりで、あなたが自分で決めきれないものが
あることを、今は不安に思っていることと思う。
自分の進む方角が、誰かの決意のありように左右されることは
これからも慣れるってことはないだろうけれど、それでも、あなたは
今それを許すことを決めたのだから、それはきっといい決断だし、
ベストなんだと思う。そう支持する。
きれいごとはここまでとして。
ホントいうと、貴方が誰かと比較されてるのが腸(はらわた)煮えくり返って
いるってのが正直なところだ。どんな偉い人だってんだ、とか思ってる。
貴方を貴方として見られないだなんて、なんて目のないヤツだ、とか
思ってる。
そんな比較なんかに勝ったって、負けたって、今のあなたそのもので
いられなくさせてるってアタリでムカムカきてるんだ。
あなたは相手を誰とも比べない人だし、「〜〜さんはああだった」とか
決して言わない人格者だ。貴方は相手を、相手その人として見られる人だ。
そのマナーに対して、相手は、貴方を、誰かと、常に比較のひとりに
している。その無礼が、私には、侮辱に思えるのだ。
そんなものに慣れないでいいからね。
そこで悲しい気持ちが持てる人のままでいいからね。
うまくいったらいいね。
うまくいかなかったら、それこそあなたは悲しんでいいからね。
今回の場合、俺は役にたてる人じゃないけれど、悲しめる貴方なら
私は誇りに思えるからね。それはちっとも貴方に役にたたないし、
ひとりよがりなモンかもしれないけれど。
声高に叫ぶ友情とか、安易に友だちぶりをかざすのは性分じゃないけれど、
貴方が元気がないだなんて、それがすでに、もう、腹がたちました。
うまくいったにせよ、いかないにせよ、どんな理由にせよ、
あなたはいい人だ。「理由」なんてどんなものにしたって、それっぽい
ものを云々いってるだけで、偽物なんだから、どんな理由にも、貴方は
傷付いたりしないでいいからね。いや、うん、傷つかないわけには
いかないけれど。
全く話はそれるけれど、一緒に働いてる男の子が、ある会話をしてる
時に、ふともらした言葉があるんだ。
「安易に『友だち』とかいう言葉を使うな。
そんな風に『友だち』って言葉を使うな」
いい言葉だな、と思いました。
「友情」を理由になんかさせようとすることへの、けん制の言葉でした。
もし、なにかの理由に「友情」とか「友だち」って言葉が使われるなら、
私はその言葉を使わない工夫を心掛ける。
なんの制約もないままでいられるから「友だち」なんじゃないの?
でしょ?
友だちのためにはなんかせなアカン、ってのは・・偽物だと思う。
なにかしてあげたい、のは自由。
に、しても
俺の友だちを比較しやがって。
悔しいやら、悲しいやら、たまらん気持ちだ。