作成日: 11/03/21
修正日: 11/03/21
今、ひとり、カメラマンを育ててる
世界をとっつかまえることができるよ
縁あって、ひとりカメラに興味のある子に、一から教えてます。
それこそコンパクトカメラにはじまって、交換式のレンズの付けられるナンチャッテ一眼レフに
いたり、ついには下級モデルではあるものの一眼レフにまでたどり着く物語であります。
時代が時代だから、写真なんてものはケータイでも撮れるわけです。スナップ写真なら
がんがんばんばん撮れる訳で、別段習うなんて必要ない訳です。
それが同じ風景を目の前にして、撮って出てくる写真に違いがあったりすると、「なんであの人の
写真はピンぼけ具合が違うんだろう」「なんであの人の写真は色合いが鮮やかに感じるんだろう」と
如実に結果が違う理由が、なにかきっとあるはずだ、と直感する訳です。
おおむねの人は「なにか違うんだろうなあ」で終われますが、稀に「そういうのが撮りたい!」と
言い出せる人材に巡り会います。
写真ですから露出、シャッタースピード、感度など、覚えるほど凝れる要因が増えます。
画角、レイアウト,このごろではカメラの方の「機能」でも、できあがってくるものに露骨な
差が生まれます。
コンパクトカメラの頃はそのなかでも「機能」で遊んで遊んで「タノシー!」を味わい尽くします。
「ジオラマモード」「トイカメラ風」など、カメラにセットアップされてる機能だって、
あるのは分かってても、使う局面についてレクチャーなしには、なかなか遊ぼうという気になりません。
要は「色目で世界を見る」ことですから、演出しにかかることが、カメラサイドでできるよね、って
「見え方」が馴染んでくる訳です。自分が被写体を前に「なにに心捕われたか」を選ばないと、
撮る時の撮り方自体が変わる事を知っておく必要を「ナントナク」で体感ずるのです。
そのうち、コンパクトカメラで「できないこと」にあっというまにたどり着きます。
便利であったはずの「オートフォーカス」が、じつはピントリングもないモタモタしたもので
あることとか、顔認識で勝手にシャッターがおりちゃってるわ、撮られちゃってるわ、記録媒体は
埋まっていくわで不便の連続を気づくわけです。
そうしたときに一眼レフの「ピ・パシャ」(ピ、はピントの合う音。カシャ、はシャッター音)の
スピードを知ってしまうと、あああ、実になんとていたらくな写真世界の下層に自分は
有無もなく追いやられてたのだろうと直感し、俄然一眼レフに突進をはじめます。
そのとき、それそのときまで切ってきたシャッターの結果と、一眼レフを介して出てきたシャッターの結果が
歴然と違う事を目の当たりにすると、もう戻れなくなります。そして「突然写真が上手になった」ことに
気づくのです。ええ、それはもう突然に写真が良くなっちゃうのです。
今回それを目の当たりにしました。そして、突然、自分が手に入れた「ある世界」が、ものすごく
面白く,素敵で,自分が身を入れるに値する予感を感じてることを、その子を通して感じられたので
私はすこぶる満足なのです。
ただ、その進化のスピードが少々可哀想でして、一台目のコンパクトカメラの購入が半年前、
ナンチャッテ一眼レフ(レンズ交換だけができるも、本体の合焦の遅いもの・ピントリングの
ないカメラ)が二週間前、そして昨日「一眼レフ購入」というもので、「最初からこれ(一眼レフ)買っておけば!」
という叫びを聞きました。そーだよねー、そーなんだよねー。そーなんだよー。
でも「コンパクトカメラで面白くなってきて」「ナンチャッテでは綺麗に撮れてくる事がわかってきて」が
あるからこそ、「一眼レフは早くてすごい!」を「痛感」するのです。まさに痛感です。
身も心もフトコロも実際に「痛み」を伴うからこそ、「痛感」です。
その子がカメラ屋でレンズを扱う時も、キャップもせずに「どん!」と机に直置きします。
雨が降ってきても「多少濡れてもいいですよね」と意に介しません。
行程は問わず「いい写真になればいい!」が先走ってる,素養十分な逸材なのです。
なにより、写真を上手に撮れるたびに、どんどん「なにかを手に入れてる」感じをうっとりしてるのが
目に見えて、こっちが嬉しくなってくるのです。そう、そうだよ、今、手に入れたよって、分かる。
必ず、その気持ちが生きる事をしちゃうだろうなあ、って予感できる愉快さが伝わってくるのでした。
そう、世界を手に入れてるカンジです。
みんな気づかないうちに、世界は征服されていたのです。ふふふ。
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