作成日: 11/06/16  
修正日: 11/06/16  

仏教が分からないのです

いろいろあるのに、どれもわからない


以前、仏教と神道の違いすら認識してなかった、って話をどこかで書いたんですけど、
不勉強なのはいかんねえと、自己流ながらも仏教の流れを把握しようとしてます。

仏教を云々言ってますのは、「考え方」で生きる「生きやすさ・生きにくさ」を感じ換える
機会が人生中で増えてきまして、学校とか世間様では、あまりにも「生き通す」時の知恵を
授けてくれなさすぎるんで、こりゃ自力で発掘と思ってうろうろしたわけです。

「禅」も仏教なんですよね?読経も仏教にありますよね。
んで、発祥はインドの方の釈迦族のブッダさんなんですよね。
でもブッダさんはなにか書き残してる訳じゃなくって、弟子たちが生前のブッダさんの言葉を
書き留めた、のが経典なんですよね。あってます?ここまであってます?
それが中国経由で漢訳されて、日本に入ってきてるのが、お経、と。

・・・・・んでですね。
どこに「菩薩」さんですとか「観音様」ですとか、神さんの話が出てくるんでしょうか。
生きるための哲学、科学が仏教、とされてる宗派もあると、もう困惑しちゃう訳です。
日本に入ったから、神さんと混濁して出てきたものなのか?お釈迦様、を拝んでいいものなのか。
どうもどこから入って、どうとらえたらいいのか、どんどん分からなくなってきました。

因果応報、とか功徳、という考え方はまだ心に入ってくるのです。
でも妄信しないと駄目よーってものでもなさそうなので、もうちょっと分かってくればいいんですけど、
いやこれが本を読めども探せど、のれんに腕押しでして、とんと橋頭堡がみつかりません。

かつてお釈迦さんって人がいた。
人々が生きる時に役立つ言葉をたくさんおっしゃった。

ここまでは分かる。
でも「ありがたいお経がある」とか「菩薩・観音・如来」などの神さんとしか思えないものが出てきて
「拝む」がはじまったりすると「え。なんで」となっちゃう。
「唱える」「拝む」ってつもりのものじゃなかったような気がしてるんです。

最寄りの本屋さんにある仏教の本は、多彩な宗派、各々から発せられるイントロの多さばかりが
わかり、肝心な私の疑問には近づけません。
「八百万の神さんのいる国なんで、まぁそれもよしとしておけ」で済まないのでエッセイ化しております。

「禅」って仏教だったんですよ。知ってました?
(すいません、おそろしく不勉強なところをスタートラインにしてますよ)

日本の「宗派」というのは、どのお経を尊ぶ、とするかで分派してる、と考えればいいんでしょうかね。
そのお経の元はブッダさんの弟子たちが、インドの方の言葉で書いた言葉、ですよね。
ブッダはこういいました、と。
んじゃ、お経というのは「こういいました」集で、いいんでしょうか。
それによって宗派が別れてるんですか?そこにどういう価値を見たらいいのでしょうか。
いやいやいや、日本仏教を語るつもりはないんです。価値も認めてます。

わっかんないんですよ。ブッダの残してくれたものの、核が。どこを触れても。
イチゲンさんがそう簡単なもんじゃない事柄に手ぇ出してエラソーにシッタカブリしたがってる、とかでも
なくてですねえ、ブッダさんのおっしゃってたことの威力は、私ほどの不勉強な人にまで
ガツーンとくるものであったはずなのに、どこでこう複雑怪奇な、瀟洒な、「仏教」とやらに
させられてしまったんでしょう。全体像を描かなくてもわかる言葉を、ブッダって人は言ってたような
気がするんです。どうしてそこにたどり着ける道がないのか。

ブッダさんのおっしゃってた言葉こそが仏教だ、とも言い切れませんし、日本に深く根付いた
仏教も長い年月を経て力あるものになってると思いますが、「ブッダもお経も禅も菩薩も全部仏教!」
とあっては、どこまでも広いばかりで、へこたれるばかりです。

気持ちを、スゥと清涼感を持たせたいんです。
混沌としやすい思考回路を、スムーズに復帰できる程度に洗練しておきたいんです。鍛錬しておきたいんです。
そのとっかかりに仏教ってものの威力をいろいろ予感できるんですけど、どーもこれが、とんと分からない。
もしくは、こうしたシンプルに、プレーンに解釈したがってる、って態度はそもそも間違いなんでしょうか。
最初、ってものがありますよね。どこからも入っていけるけど、どこにもたどり着く様子がない。
ただ深いだけ、の中に朦朧として歩むものだとは、どうも思えない。

「自分に解釈できそうなもので、良さそうなところだけをヒョイと手に入れたがってる人には
なんにも入らないよ」ってことなのかもしれません。「自分が分かることだけもので囲ませてても
自分ってものは成長しないよ」とも言えるでしょう。
教え、についての深みも知りたいですけど、それ以上にこの現代の「仏教」のふくらみの厚さを、
仮にブッダさんが見かけた時には、もっと分かる言葉にしてくれるんじゃないかとも思うのでした。

そんなわけで、誠に不勉強ながらのていたらくで、あれこれしているのでした。