作成日: 11/08/06
修正日: 11/08/06
わっしょい!のとこ
ヒャダインのじょーじょーゆーじょー
アニメ音楽の転調しまくりな音楽に辟易としてた訳です。気持ち悪くなってきてたのです。
ああ、もう、音楽は好きなのに、好きなアニメでこの音楽でがっかりするとは、とか
思ってる事が増えてるんです。
みなさんは「日常」見てますか?アニメの作品ですね。このオープニングは愉快です。
「ヒャダインのじょーじょーゆーじょー」というふざけたタイトルの、ぶっとばした感のある
ミョーに癖になるミョーな曲です。
転調はこの曲も激しいんですけど、この曲は「うまい曲なんてあきらめた感」がとっくにあって、
いっそ「すがすがしい」とすら思うのですが、ことさら曲の途中に「わっしょい!」と
叫ぶパートがあるんですけど、そこのイキオイと申しますか、思い切りの良さ、といいますか
たいそういいのです。
曲の流れの中で、あってもなくてもいいかけ声です。
それが堂々と入ってる。
いや、むしろ「自信満々」に叫んでる。浮くほどに、ガッシリ叫んでる。
曲のパート以上にガッツリ「わっしょい!」にかけてると言ってもいい。
その意気込みたるや、なにかこう、突破力を感じたのです。
えっとですね。
このごろネットにせよメディアにせよ「頑張れ日本」というフレーズがありますよね。
これがどうも飲み込めないんです。いつの間に「頑張るのは日本」になってるのよ?
震災による被災者一人一人の苦しさや悲しさに寄り添うか、助けるところまでは解ります。
そこまでです。頑張るのは「日本」じゃありません。人です。
ことさらこの震災のあとの日本政府の対応は、被災者に優しいものに見えません。
応援すべきは「日本」ではなく、被災者たちだとあるべきです。
「がんばれ日本」では大ざっぱな上、応援するものの観点がずれます。的が外れます。
サッカーのなでしこジャパン優勝はすごいですね。彼女たちの凄さは、彼女たちに戻るべきです。
個人的には日本が頑張った、という風景にしたくないんです。彼女たち自身が頑張ったんです。
日本の政府としては、むしろ助力を進んでした訳ではないのに(むしろ足を引っ張るようなことすら
あったように見受けます)、結果が「優勝」になって、反転、持ち上げる姿勢を出してきただけにしか
見えないのです。声を上げずに、淡々と優勝まで頑張ってたなでしこの人たちと、それを声も立てずに
応援してた人たちに、この成果は返るべきです。
うまくいきかけてから、群がってくる連中は、ひどい連中です。
この夏は祭りや花火の自粛があったりしてるようです。
元気を失ってる人たちがいる、そのさなかで、人一人に「いい知れぬガッツ」をねじ込んでいくには
「わけはわからぬ」ものの方が質としてはいいように思うのです。
津波も、地震も、放射能汚染も、全部「理屈」を通り越しています。
解説者がどんだけ上手に説明しても、どんだけ解っても、解っても、解っても、改善しないんです。
解るだけなんです。解るだけで、全然いい事ないんです。
じゃあ、人によっては、いっそ全然解んない方が、気が楽ナノかもしれないんです。そんなもんなんです。
「日常」というアニメは、誰かを力づけるためのアニメじゃないのかもしれないけれど、このオープニングの
持ってる、いい知れぬ「図太さ」というか、「がぶり寄り加減」というか、「わっしょい!」こそが
一番人を元気にしていってくれるもんじゃないのかって、思ったんです。
ここ半年で、一番元気の出るパンチ、そう、パンチが利いてたのです。バチコーン!と来ました。
頑張れ日本、とか言うよりも、「わっしょい!」の方が、俄然元気でます。
小理屈はもうたくさん!むしろうるさい!そう思ったんです。わっしょい!わっしょい!
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