作成日: 12/08/04  
修正日: 12/08/04  

態度の話

なんでも起こるからいちいちさいなまれないでもいいんじゃない?


土曜や日曜に休める日が来るとは想定してなかった。日中に働いて夜は寝て過ごせる毎日、というのも
想定外でした。だから土日に出歩くと、車は渋滞してて、出先は人ごみでごったがえしてること
ばっかり続くことに、新鮮さと困惑を覚える最近なのです。

夏の暑さは7月の方が質が悪いことも今年は痛感しました。
6月の梅雨を引きずって、7月の暑さには「風がなく」「雲も出ず」「空気全体が熱と湿度を帯びて」
「体調も夏になりきれない移行状態」なわけで、ことさら月末の10日間くらいは本当にひどい
季節だなって思いました。
8月に入って風を感じはじめ、雲や木陰が気持ちよくなり、蝉が鳴き出し、体調も暑さに
順応しはじめてくれたところへ「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉の通り、あと半月もしたら暑さは山を越えるという
心理的な安心が先立って、息がしやすくなる心持ちになります。

ふと気づいたのが、私は放っておくと、「他人の事情」に「持ち出し」が多すぎるってことです。
人生の大事な岐路が、これで何度も破壊されてきました。そうは言っても、決めてるのは自分ですから
文句のつけようもありません。ですから時々、びっくりするくらい人に冷淡になります。
それくらいの調整がないと、釣り合わないと自分では思っていました。

最近、テレビで「フランクル」と言う人の本の紹介をしてました。ユダヤの収容所を生き抜いた
精神科医の人らしく、その人の言葉が胸に刺さりました。

「与えられた事態に対してどういう態度を取るかは
 誰にも奪えない、人間最後の自由である。」

やさぐれたり、他の何かのせいにしたりと、人は「環境がこうだったから、私はこうなった」と
いってしまうものです。うまくいった人よりも、うまくいかなかった人がこういう考え方を
する場合が多いですね。

フランクルさんは「それは違う」と真正面から突きつけてくれます。
とってる態度は、全部自分の自由裁量だと。

そして「とった態度」の後ろに、自分が生きるレーンがひかれていて、そこを歩き出す。

しみますね。
その通りです。


本当はいい事態も悪い事態もなくって、「ただ、起こっていること」です。いい、とか悪い、は
それを受けるとる側の「受け取り方」ですから、そういう意味ではこのごろの私の「流転ぶり」は
以前の私なら困憊極まる顔つきで憔悴しきってるはずです。「思った通りじゃない」ことに
打ちのめされて、うちひしがれてたような気がします。

まわりと調和して生きることが、生きやすさの秘訣であるのなら、「どの、周り」に染まるかで
またしても人生は大きく舵を切ることになるでしょう。見切りの良さとか将来性とかいう
「そのときに分かってるものだけ」で決意するには、あまりに未来は流動的ですから、
誰にしたって「思った通り」をのぞんでること自体が、大きく自分を傷つけてしまうでしょう。

なるようになれ、と自暴自棄なことを推してません。
ですが「巡ってくる縁」は信じます。
いい、とか悪い、とか、に振り回されずに、「自分にきたものは請け負う」でいいのでしょう。
軽はずみに色々手を出してると、粗末で雑なものも出てきますから、生きるってことを「洗練」するために
上手に使いたいものです。

今まで、どの部屋に引っ越してきても「5年ここにいないな」と直感して当たってきました。
事実そうでした。そのため友人に住所も電話もほとんど教えないようになりました。
そうそうさみしくもなく、かといって放り込まれてくるものにばかりかまけて生きるのも嫌になりました。

そういうわけで、そろそろわがままを出していこうと思います。
いい年なので、そう周りに迷惑をかけるようにはきっとしないでしょう。

今年の1月に愛車のエンジンが他界してしまい、載せ換える大工事と大出費をしたので、この夏の
車検はきっと楽々とおるに違いない、と高をくくっていたら、ミッションオイルがあり得ないところから
漏れだす症状が見つかり、車検が通らない事態に行き着きました。真正面からリビルト品で交換するのは
大出費です。なんとかパッキン処理で済みそうです。

「どうしてこう車にまつわる出費とか故障が重なるのか?」と考えると、10年15万キロ
走ってきた「軽自動車」ですから、ガタがきて当たり前でした。冷静に思えば、この車検時に
よくぞ発見してくれたと、スタッフさんにお礼を言うべきです。
なのに私は被害者面の心持ちでした。「そんなはずはない!この冬に一通り直してたんだ!」と
思いたがってる自分を、じーっとみてました。

起こってること、がそのまま「起こったように」受け取れないのが人です。
どこか自分なりの解釈に「沿う方」へ誘導して、心象的に飲み込める状態にまで「加工」し直さなければ
納得しないのが人なんでしょうね。
その「加工加減」を少なく済ます人ほど、上手に生きられる気がします。
「起こったことは、プレーンに、ただ、起こったままに」できれば、対処に自意識が働かずに済み、
余計な工夫も配慮も省いて、一番端的に対応できます。時間も心証もスムーズです。

フランクルの言葉は、その点、潔いです。態度。一度洗い直します。ピカピカと。