作成日: 12/08/04  
修正日: 12/08/04  

とうとう

ごめんなさいのこころ


ネットの「つかみの見出し」がずんずん白けてきた。刺激的な見出しも、
魅力的な引きつけも、ざっくりと「白けて」しまって、読まずにパソコンを閉じるようになった。

これはテレビでも同じで、「テレビで時間を過ごしてる」のが惜しくなった。
時間がすぎちゃった割に合わない感じがする。

これは「買い物」にもそう思うようになった。欲しいものがなくなってきたともいえるけど、
官民あげての「買え!買え!」が等しくむなしい感じなのだ。

あの津波映像のせいかも。
自分の部屋の火事の時にも感じたんだけど、
「どんなにそろえても、消えてなくなる」

津波でいえば、「全部、流される」

一生分を前借り投資した「家」でも「車」でも、なくなるものなんだ、が前提に大きく出てきた。
だから「定年まで払い続ける」という買い物が、ひどく虚像になった。億劫さにもつながってる。

大ざっぱにいえば
「今出回っているものには辟易としはじめた」感がある。
新しいもの好きな私がiphoneを持たないのが我ながら不思議だったんだけど、なんかこう、
「いいものじゃないよね」って
思ってる節がある。
「みんなが騒いであげるほど、すごいものじゃないよね」ってものが
「一斉にあふれかえってる」感じがする。ただ、多いだけで、核心を突いたものに出会えなくなってる。
そこで「ホンモノ」の登場まで、静観してる心持ちがかなり強い。

「安全、なんで、疑う方がおかしい」的「安全神話」の安普請さの原発問題。
自然界に自然にあり得ない放射能物質がこんだけ出てるのに、国のした「ごめんなさい」は
想像を超えた「手に負えなさ」で、「とにかく再稼働」ってことにしたがる頭の悪さにはびっくりだ。
「ごめんなさい」が「できない」うちは、次のことしたら駄目。もう、おしまい。

惰性でできてきたことが、一斉に「惰性以外のモーション」を求める時代に入った。
「今までこうでしたから」で押し通せたものが「それ、かなり古い発想なんで」と
正面切って拒否!の時代に入りはじめてる。

人間に馬力のいる時代がくるかもね。
「今までそうだった」から、「今、こうなった」よ。
そして「ごめんなさい、はいえませんでした」のオンパレードでした。
つまり、責任なんて、とれやしませんでした。ただ、惰性でうまくいってただけです、と
目の当たりにさせられた人たちは、見捨てると思うよ。そんなの。

ごちゃごちゃしてるだけなら、騒がしいだけだもの。

でも、本当の意味で「混沌」であってくれるなら、馬力のある人は発揮する時代が近づいてるよ。
横入りして勝ち残るには、ホームランしかないからね。そういう大ざっぱさは、用意しておいた方がいい。