作成日: 12/09/15  
修正日: 12/09/15  

病室にて

お見舞いしました


父が崖から落ち、入院をしました。見舞った際に、同室のおじいさんがボケていらっしゃったのか
同じことを何度も何度も何度も叫んでいました。なにをおっしゃってるのか、フガフガして
聞き取れません。お昼ご飯の直後で、そのおじいさんは「まだ食事は無理」と判断され
食事なしだったことに憤って、抗議をしているのでした。
(多分水をくれ、かたべものをよこせ、と連呼したまま)

同室に4人はいれますから、向いのおじさんは「うるせえわ!」「なぁに言っとるだ」と
隣のおじいさんを罵ります。するとその奥様と思われる人が「ほんなこと、絶対言っちゃあかん!」と
たしなめています。「自分もいつほうなるか、分からんだで、ほんなこと言っちゃいかん!」と
ピシャリ。(三河弁では「そんな」が「ほんな」となることがままあります)
「いつ自分がほっちの身になるかわからんだで、ほんなこといっちゃあ、あかん!」と小声で。

そうはいってもご老人、30分でも40分でも食べ物をフガフガと叫んで要求してます。
見かねた看護婦さん、先生が話をして「まだ食べれんだけど、ほいじゃあチューブで通すことに
なるだけんど、いいかねえ?」と了解を取り付けてその部屋内で、カーテン越しに鼻から
チューブを通す様子の実況状態に。

「はーい、ごっくんして」「ちょっと苦しいでね、頑張りんね」と励ます先生、看護婦。
何度も「あーんして」「はい、ごっくん!」「ごっくん、して」と繰り返され、周りの患者もヒヤヒヤ。
ご年配のこともあり、もたつくも、なんとかなりそう。その部屋のまま、移動式のレントゲンで
チューブの到達具合を確認すべく、先生が部屋を出て行った気配がする中、カーテン越しに
チューブを自力で外してる音がする。案の定、看護婦さんが戻ると「あらっ!」と叫んで
「チューブはぁ?」「どっかやった?」「まずいよねえ、これ」「ピンポン押しん(押して)」と
またも先生沙汰に。

本人もつらいでしょうが、周りの患者も怪我、病気の治療で来院してるから気が気でない。
いろんなことがカーテン越しに行われてるのが、目に見えない分、想像妄想でリカバリされてしまう。

幸い、父はすぐ隣の部屋に移動となったが、部屋に残ってる人はさぞかし心労があることと思いました。
気にかかったのはご老人のとなりのおじさんたち夫婦で、文句のつけたいおじさんの気持ちは
正しいと思いました。一方でそれを直に聞こえるように言ったらいけない、という奥様の
お気持ちも正当と思いました。

おじいさんを救おうと先生も看護婦さんも尽力してるのに、それ治療が苦しくて、嫌で、隙を見つけては
チューブを抜いてしまうおじいさんも、一面正しいようにも思いました。
同室の患者さんに配慮を出来るだけの理性が、おじいさんには残っていないんだと分かります。
うるさくしてもかまやしない、ではなく、伝えたいことだけを、ワンフレーズ、30分でも1時間でも
繰り返すだけが、そのおじいさんの精一杯の表現なのだと思いました。

生きてる、っていうのはそれはもうみっともないことの連続なのかもしれない。
迷惑をかけ、嫌がられ、自分に苦しいことから逃れたい一心になる。これをとがめられても、
なす術もない。うちひしがれるよりも、叫んで、叫んで、通じないことを叫んでるおじいさんには
生きるってことの根源を感じました。

カーテン越しに、家族の方らしい人たちの声も聞こえてしまう訳ですが、
「もう(このおじいさんは)仕方ないでねえ」みたいな、あきらめたような空気も感じました。
病院ってそういう局面の人が来る場所でもあるから、普段生き慣れた「日常生活」に見受けない
生き様にじゃんじゃん触れてしまう。

父の事故の様子は、その周りの人たちの様子から少しづつ状況が分かってきた。
当の父自身は、熱射病のような状態で朦朧としてたらしく、気づいたらベットの上、という状態だった。
なにぶん真面目で手抜かない気性なので、そこそこ手抜いて休む、ということをあまりしない。
他人が日陰を好んで仕事をしてても、日射しの照りつける現場を終わらせなあかんとの発想で
どんどん動いてしまう。父のそうした頑固さは他者には頼りがいのあるものに映るだろうけれど
真面目一辺倒が故に、落命する事態にすらなりかねないのは身内としては我慢しかねる心持ちになる。

(余談)
(でも、もし仮に、父が引き受けてるあらゆる役職や仕事が原因で亡くなるようなことがあったら、
私はそれを父が心底嫌がっても引き受けさせた連中を一切許さない。父の人の良さをつけこんだ
やり口には我慢ならない。年配者に役職を押し付けるような地域の共同体は、言葉にしないだけの
恫喝のような手口で、人を蝕んでると私は見ています。責任なんかとれないよ、ってな仕組みそのものを
見直すべきだと私は思ってる。押し付けてきた役職が、人の命の長さに関わるのなんてまっぴらだ!!!!!!!)

そうはいっても血筋なので、「そこそこの手抜き」がとんと私にも分からない。ユダヤ人に近い。
「辞める理由が分からないので続ける」という発想。

父の兄妹が見舞ってくれたとき、以前にあったように、やはり母にも長男にも見せない喜びようを
父の表情に私は見た。
父「気づいたら落っこっとっただわ」
父の兄「ほりゃあ誰か押しただぞん(真顔で)」
そこでみんなでワッハッハ。
父の兄、わたしのおじさんはこういう土壇場のユーモアに力がある。
愛想笑いでなく、その人が見せたい方の自分へと、優しく誘導してくれる心持ちをいつも感じる。
だから父がどんどん目に見えて元気になり、話すようになる。

父の妹さんも「たっちゃん(父)ほんなに(髪が)薄かったかん?やぁだねえ~」といって
笑う。三河独特の毒づく励ましは、泥臭くって本気っぽくて、まったくスマートじゃないけれど
私は好きだ。毒に嘘が含めなくて、いっそ正確さがかえって信用できたりもするのだ。

人を元気づけるっていうのは、こういう時に笑顔に持ち込める根源的なパンチだと思う。
午前中まで点滴、ベッドで起き上がれもしなかった父が、おじさんたちの帰りの頃にはちゃんと座って
いられるとこまで復帰していた。

人は人を励ますことが出来る。
表層的なそれではなく、内情の部分から、へこたれそうに弱ってるところへ、ガツンとガッツ満タンを
ぎゅうぎゅう詰め込める様子を見ちゃってるから、自分もそういう人にならねばと思い知るのだ。
何度も何度もそういう風景に立ち会えているのは幸いなことだ(その回数分事故があるってことでもあるけど)。

先の叫んでたおじいさんも、うちの父も、「その人の生き様」の流れからそのときその病院に居合わせる
ことになった。やってることは違うけれど、「人が生きてるてこと」の生々しさが病院ってところは
ずんずん伝えてくる場所。

父は退院したけれど、おじいさんはどうなっちゃったんだろう。自分を生かすためのチューブすら引き抜く
力って、どういう力なんだろう?「治療する」よりも「苦しいのが嫌」を比べなくちゃいけない時が
生きてる時にはくるのかもしれない。いろいろ考えたお見舞いでした。