作成日: 12/09/18  
修正日: 12/09/18  

弱腰

いいじゃない


気になる言葉、「弱腰」。
本当に弱い、ではなく、腰のひけた様子に、へっぴり腰について、見下げた表現。

本当に強いか弱いかではなく、「弱そうに見える」といったニュアンスの方が多分に含まれてる。
だから「弱腰」そのものは、その当事者の真の姿ではなく、風の噂と言うか、デマに近い
存在感。

「どう見えるか」が今後のキーとなってしまう時が、世情には確かにある。分からなくもない。
でもそれに煽動されてしまうというのは、一斉に幼いのだ。

弱い、のならまだ手の打ちようがある。逃げるなり、よけるなり、強くなれる余地があるなら
鍛えればいい。弱そう、は他者による勘にも近い「見立て」でしかなく、手の打ちようが少ない。

でも一面、弱腰さを受け止め、言い返さず、見返さずにたたずむことこそが、本当の強さ。
罵りの意味合いを含む「弱腰」というあてこすりは、無視していい。

本当のことは、その価値を知ってくれてる人にだけ伝わっていればいい。
「弱腰だ」と言って煽り、相手の立ち位置を不安定にさせる心持ちの悪い人を見よ。

誰が言ったの?弱腰って。
誰に言われたの?弱腰って。
その人、みてごらん。
その人、人前にずっといられるかな?
言ってる人、おびえてるんだね。
人をたきつけるしかないんだね。
そんな人の言葉であおられちゃうのって、それも相応のことよね。
やめなよ、そんなの。
やめとけよ。
後味、悪いよ。

弱腰結構。いいよ、弱腰。みどころあるよ。