作成日: 12/10/20  
修正日: 12/10/28  

お、お、おしゃれってどんなんなん?


自分の体の線やサイズにあった服を買う、と言うのを覚えたのはきっと世の中の
人たちより、私は随分遅れていると思う。少なくとも学生時代までに、それを大切に
思ったことはなく、社会人になってもあんまり重きがないまま過ごしてきたような気がします。
「着れればいい」という基本的に疑いようのない部分で服を見ていたので、ワイシャツ
一つ買うのに「首周り」のサイズが存在していたことを、20代中盤まで全然分かってなかった。

もちろん、ブランドものの服ってのの価値も分からなかった。かっこいい、とも映ってなかったので
「へー、ブランド好きっていう人たちなんだねー」で、思考がスパッときれいに途切れたのだ。
これは悔しいとか苦々しく思ってそうしてた、とかでは全然なく、「分からない」にカテゴリー
されてたので、理解の突端もなかったのだ。

後年、着てる服、履いてる靴で「相手を値踏む」のは、一種の保険のようなものだと理解してくる
時に至って、「おおーーー、そうか、服、選んでる人って、こーゆーことだったのか」って
仕組みが理解できて、「へー、みんな若いうちから、気ぃ使ってたんだなー」などとぼんやり
思ったものでした。時計にも車にも将来設計にも、漠然と「要るものなら、やってくる」と
信じてる節があり、そこに皆様との齟齬がありますなあ、としみじみ最近知ったわけです。

ジーンズにしても、スリムとかレギュラーとか、私には見分けがついていなかったのです。
「ジーンズー」でしかなく、種類は「普通」のんと「ベルボトム」のんと、「まいうー」の人が
いつもはいてるやつくらいにしか認識してないのです。

自分のどこかで「こだわりをみせるのは、そこの部分では不要」ってしてますね、未だに。
だからこんなざまなんだよなー。

お値段の高い服が機能性や軽量さなどで、値段以上に価値を含んでることがかろうじて分かってきてから
服の買い方は少しばかり変わりました。

人間、そう大きな差はないもんだから、「どこにこだわるか」の項目はあんまり多くできないんです。
でもどこにこだわったか、で進み方も着地点も全く違っちゃうもんです。それにいいとか悪いとかは
ありません。選んで、進んで、着地するだけです。優劣はありません。

服をちゃんと選ぶ、を「こだわり」に入れれた人ってすごいなって思います。
若いうちから、そこに着眼できた人の「いきさつ」が私には理解できてないんですけど、
「人にどう見せていくか」の目線が備わってた人だったり、自分への修練だったり、どれにせよ
私には備わってない目線です。大事だったんだね、この目線。