作成日: 12/12/29  
修正日: 12/12/29  

トップ、サイズ、ニッチ

びりにも幸あれ


2012年年末なんですが、エッセイでこう書いても年がら年中読めるものだから、読み時によって旬さを
失ったり、そんなことはエッセイで書かんでもいい、という向きもあるでしょう。ですが年末なので
心持ちが「一年の総括」へと疼くわけです。今年はこれこれこうだった、と。

でも毎年ドタバタしてるし、毎年新しいことが起こってて、そういうのを俯瞰して考えると
「毎年に比べると元気な方の1年でした」ってことになります。今年はいよいよ社会全体、特に
日本って国と、日本企業が淘汰される時代に入ったことを実感してます。

大きな会社は、大きなだけで、潰れる時は早い、と高校生の時に思ってました。ですから私はあまり
就職というものに期待を持たないところがあります。どこそこに就職した、というのを話し合うのは
意味があるのか、とか思ってしまう方でした。

今年は「業界で1番か2番」の企業しか「生き残れない」空気がはっきりしてきたなあ、と思いました。
3位以下は生き残ってますけど、生き残ることそのものが精一杯な空気になってて、淀んでるのでした。
かといって1位、2位の企業ってのも、「その業界」そのものが霧散しかねない昨今の情勢にあって
どちらかというと、不安要因がぱんぱんなトップ、という感じがするのでした。

んー、まー、そうね。
この、3位でも4位でも生き残っていられた時代の方がいいなって思います。ネットとかで買い物を
することで、依然なら「地元では買えなかった」ものが買え、廃盤だったはずのものが手に入り、
調べようのなかったものが「検索」でいまやパソコンを起動したりもせずに、タブレットだのケータイだので
ホイホイたどり着くことを「疑いもせず」にやってる。

一言で言えば「便利」の先行で、便利さが突出してて、業界1位、もしくはオンリーワンの価値の
ものだけに「スイ」とたどり着けてしまう時代になっちゃったものだから、それまで「一番いいもの」に
たどり着けなかった人たち向けに糊口を凌いできた地元の企業や、生き残って来れた業界が
じゃんじゃん用済み扱いにされるようになった。

グレーゾーンがざくざく切り捨てられている。

私はここに希望を見ている。

1位、のものは「いいもの」とは限らないのです。
先に言いました「便利さ」が1位にさせました。

アニメの話をしましょう。私はアニメが大好きですから例えやすいのです。
宮﨑駿監督の代表作が「トトロ」と世間に認識されているのはなんででしょうね。
「ナウシカ」よりも「ラピュタ」よりもジブリはトトロですよね。
あれだけたくさん映画を作ってるのに、トトロですよね。尺も短いのにね。
力の入れ方もトトロの前作たちよりも、力は緩んでるはずです。

エヴァンゲリオンが流行ってますね。興行収入もでっかいですね。すごいですね。
でも若者からせいぜい40代までですよね。好きでいられても。家族で一緒には見ていられない
描写も多いし、商売にはなりますが、「サマーウォーズ」のような「オーソドックス」さの前には
幾ら儲かっても「どの世代にも浸透していく」ものではない。

テレビで「アニメ特集!」みたいになると今では「ワンピース」、少し前までは
「ドラゴンボール」などが出てくる番組がありましたよね。2~3時間枠のアニメ特集
番組で「サザエさん」とか「ドラえもん」が入ってくると、アニメ漬けだった幼少の私は
「そんなアニメは『特集』で見せないでいい!本当に『アニメ』で特集と銘打つなら
やるべきことがあるだろう!!!」と憤る子供でした。ですからエヴァンゲリオンみたいな
アプローチが大好きでした。

今は「オーソドックス」さがモノサシになってます。「刺激」ではなく、「世代を越えてる」ことが
肝心と思っています。おじいちゃん、おばあちゃんが孫と一緒に見てても、そこそこわかる
作品がいい作品、だと考えてます。生き残る作品、と言い換えてもいいかもしれません。
別に「サザエさん」「ワンピース」をたたえているわけではありません。かといってコミケで
盛況になるような作品が素敵とも思えないのです。

「トップ」で扱われているもの、っていうのが、本当に「いいもの」であるかどうかは
別物、とは言いたいのです。いいもの、でなくとも便利さ、わかりやすさ、覚えやすさから
一番売れるものにはなれます。売れるものが潤うのが社会ですから、売れるように仕立てます。
いいもの、は「まず、売れるもの」に対して次点に位置しています。

「トトロ」はわかりやすいのです。「エヴァンゲリオン」も分かりやすいのです。
「これでしょ」って、上手に受け手に渡しています。作り手の必死さではなく、「これでしょ?」って
上手に渡してることが、他の作品より突出しています。

テレビなどで、職人さんが「いいものを作っていれば、売れる」と唸るようにつぶやくのが昔から不思議でした。
「当たり前じゃないですか」って思ってました。職人さんともあろう人が、わざわざ苦みばしった顔で
したり顔で「いいものを作っていれば・・・」とうのは、なんて無駄な芝居なんだろう、とか思ってる
子供でした。

違うんですよね。「いいもの」だけじゃ「売れない」の憂き目に遭うことが、世の中には「当たり前」
だったんだな、って大人になるにつけ分かってきたのでした。「いいもの」であれば「いつかは売れる」に
たどりつけるから、いいものを狙い続けてはおけ、という苦渋の顔が、職人さんの顔だったんですね。

宮崎駿監督で言えば「カリオストロの城」でブレイクするのが本当じゃないですか。あれ、失敗作みたいに
扱われましたよね?トトロまで「作り続ける」ができたからこそ、ジブリの顔になってますけど、
「いいもの」でブレイクしたわけじゃないですよね。

いいもの、がトップでない。
そのことはいいのです。
それでいいのです。

肝心なのは「2位以下の生き残っていられるか」加減です。そののりしろが「どんだけ広いか」の
幅こそが、消費者としての受け手が「潤い」の多彩さを甘受できる「絶対量」を変えるのです。

1位だけが「便利だから」「売れてるから」にのさばると、もう飽きるんですよね。2位以下が
淘汰される前に、予感として「飽きる」。
1位の企業も人も、1位に至るだけの頑張りや才能がありますから、そこでもがんばっちゃえるわけですが、
多彩さにはつながりません。頑張ってるところを見ちゃうわけです。

こうしたときに俄然光が射すのが2位以下の、ビリまでの「その他大勢」の活躍です。
「どんな風に2位でした」「そんなこんなで3位でした」の存在たちが、1位の天才さに
対して「こっちはそれほど天才じゃありませんけど、こうはできます」と1位になれなかったが
ゆえの面からアプローチした「負け越してるが故に突き進むしかなかった突破口」から
閉塞感に挑んでいきます。1位であるがゆえに、絶対数が「ほとんど、それ」になった世界に、
2位以下の「マイノリティー」「その他大勢」が風穴をこじあけて、フー、フーと吹き付けていきます。

私は思うんです。1位の天才さ、優秀さは讃えておきましょう。すごいね、って。
でも豊かさってものは1位の天才や便利さじゃ「足りない」んですよ。大事なのは2位以下の
幅を、うんと広くたゆたわせておくことですよ。

1位てのはテレビデオみたいなもんですよ。テレビとビデオが一緒になってて「便利ー」なはずが、
「テレビ機能だけ」が壊れても「ビデオ機能」だけが壊れても、テレビデオごと修理に出されちゃって
テレビかビデオ、どっちかが家に残っててくれればそれなりに楽しめたものを、という選択の余地を
失っちゃってる。「便利さ」の名の下に、「1か0か」のような収斂に入り込んで、一つ失うと
全部なくしちゃうだけの社会を、今は太くしてしまっているのだ。イマドキで言えば「ケータイ」か
「タブレット」を修理に出すだけで、生活や仕事に支障が出ちゃうだなんて生活になっちゃってる。
一言で言うと「もろい」のだ。人間がもろさに突き進んでる。「便利」でなくなったとたんに「誰でもない」
人になっちゃう人ばかりが大量に増えてる。

多彩さは、3位や4位、もしくは最下位までが併存して生きていられる社会だと思う。なのに実際は2位以下が
「生き残れない」ってことがディファクトスタンダードっぽくなってる。1位、2位の「総取り」感が強く、
ゴウツクバリな稼ぎ方に「便利さ」が後押ししちゃってる。2位以下の「文化」は消し飛んじゃってる。

ここですよ、私はここに注目したい。

トップ、には飽きますよ。トップは総取りがゆえに、サイズがでかい。でかいがゆえに、維持費もかかる。
今度は「トップの維持」などというしないでもいい心配にかかる「とりまき」もできる、助言と称して
「余計なこと」をねじこんでくる連中にも目をつけられる。あんまりいいことないんだよね。
「自分が成り上がれた理由」が原因で「のびしろ」に手が出せなくなってゆく。そうした見えない淀んだ
ものの中で、「2位以下」の「その他大勢」は勇んで、溌剌と挑みにかかれるでしょう。
そのとききっと、1位のポジションにあるものは、助かったと思うに違いありません。。

2位以下は、「ニッチ」に生き続けるべきです。へこまず、ひれ伏さず、凛として「2位である!」
「3位である!」ってだけで、威風堂々としているべきです。負け惜しみや苦し紛れな意味でなく、
そこにいてくれないと、業界全体の衰退は早まるからです。必ず早まります。多彩さ、選択肢の
豊かさこそが、一番の鍵なのです。

ですからいうのです。
ですから思うのです。

「ビリである!」とか「喰えないでいる!」としても、そこに「凛と立っていろ」と。
替えの利かないあなたを、発掘する希有な人はいる、と。
必ず、いる。
必ず、必ずだ。
だから、そこに居ろ!
すったってろ!と。
意味がある。ある。
あるんだよ。

そしてこう思ってればいい。

「こんなにいいものがここにあるのに気づかないだなんて、ぷぷぷ、馬鹿だねえ」
くらいにね!
それくらい凛としてりゃいい。それくらい独りよがりでもいい。

俺は好きだもん。そういう人。
それを見つけたとき喜びったらないよ。
なんにも他に替えがたいし、代理が立たない。
故にオンリーワンだしね。
どんなにころんでも1位には手のつけられない「身勝手さ」ゆえの強さが、輝きがある。

世間はそれをニッチな存在としか認識しないかもしれない。
そんなのはいいんだ。どういわれようが、めだってなかろうが、そこはどうでもいい。

「多彩さ」の一色として、熱烈で強烈な一つの色であればいい。サイズも順位も役に立たなくなる
時間の方が圧倒的に多いからね。メジャーでなくても、トップでなくても、でかくなくても
唯一無二のなにかであれば、それを恥じないで、凛としていれば、もうそれだけで誰かが
発見してくれる。発見されるだけでも、すげぇパンチだと思うよ。

願わくば、そのニッチな「なにか」は、1位を駆逐するようなパンチを生むと痛快なんだけどね。
起死回生の一打は、ニッチから生まれる。1位からじゃない。それが言いたいエッセイでした。

来年もこの調子!