作成日: 13/02/10  
修正日: 13/02/12  

当事者からひとこと

行ってみる。立ってみる。感覚を研ぎすます。


失職してみて、気づいた大きな点が二つありました。

ひとつは

「自分に役に立つ情報に出会えない」


いまひとつは

「挑んでみると、状況は別のものに見えてくる」

です。


失業していますとね、日常見たり聞いたりしてる情報のほとんどが

「普通に過ごせてる人向け」に仕上がっていることに気づくんですよ。

「毎朝定時に起きて」「定時に会社に入り」「夕刻帰宅して」「家でご飯を家族と

たべる」んです。朝は新聞を読み、昼は弁当なり食堂なりで食事を摂り、

帰宅したら夕食と、夜のニュースを見て過ごす。


ほら、当たり前でしょう?当たり前なんですけど、今一度読み返してください。

ほら、失職してるひとに「有益」な行動様式、含まれてないでしょう?

テレビにせよ、ラジオにせよ、「普通の時間帯に、普通に過ごしてる人向け」の

「朝は朝なりに」「昼は昼なりに」「夜は夜なりに」の番組です。仕事を探してる

人には、その普通さが刺さるものなのでした。日々、全部の時間に接してるものが

「自分向けじゃない」ものばかりになるのです。


なので、テレビもラジオも新聞も広告も「求人欄」でもない限りは全然自分に

切迫した情報、出してくれないじゃん、と心が塞ぐのでした。

セールで週末に野菜が安かろうが、眼鏡が安かろうが、車がお買い時であろうが

一切合切「余分な情報」にしかならなくなってて、なんかとっても弱るのでした。


ひがみ、といえばひがみかもしれませんね。

とはいえ、社会のセーフティネットっていうんですかね、「弱ってる人には

もう少し手厚いフォローがあるんだと思ってた」という予想は、どこか裏切られた感じが

したのでした。


これは神戸なり、関東の地震なりでも思ってたんですよ。

「いざとなったら、役に立ちません」が多すぎる。

いざ、が一番助けて欲しいときであって、その時にあまりにもあまりにも現場で

当事者である者に対して、状況が無力すぎると感じるのです。

で、「なんとかなる」っていう希望を抱くにするにも、「自力でそう考える」人しか

そうした発想にはむかえないのでした。


実際、ハローワークの仕組みの分かりやすさには感銘したのです。ネットでも

調べられるし、手順も分かりやすかったのです。いついつから手続きして、いついつから

支給されて・・など、いったん動き出せば、次に、次にの手だては簡明でした。


「普通の生活」のさなかから、欲しい情報源にたどり着くまでの行程が、どこか

自力で気づきなよ、って言うのが、普通なのでしょうか。

ネットも調べはじめたらたしかにふんだんな情報源が出てきました。でもそれに慣れるのには

時間もかかりましたし、バラバラすぎるのです。スッとたどり着けないまま、1~2週間を

費やしちゃう人が大半なんじゃないかなあ。


求職してると、変な話、時間はできるんですよね。

ただ、「なにもしてない」ように傍目には映るでしょうが、なにかしはじめちゃうと、

連絡に齟齬が生じたり、急に決まった案件に機動的な対応ができなくなっちゃったりと

意外と自由度は低かった印象を持ってます。その間も実入りはありませんから、

心は急(せ)くわけです。 


弱ってる人に、もうちょっと優しい方法ってできないのかなあ、と思ってました。


そしていまひとつの「挑んでみると状況は別のものに見えてくる」。

これは、なにか最初の、来たことのないところでポツンと放り出されたような

心持ちでいる求職者って、「自分に見合う仕事って本当にあるの?」っていう怯えが

まず最初にあると思うんです。


それも「例え仕事があっても、仕事先が自分を必要としてくれるの?」とか

「なにが自分を売り込んでいく時に不利になるの?」とか「若者や、才能のある人たちと

どう渡り合ってやってくの?」とか、頭の方で、見渡してるリクルートな大海原が、

やたらに巨大で、やたらに大波で荒れた風景に見えて来ちゃうんですよ。

それだけで心がすくんでしまう。


見渡しちゃったばかりに、その広さ、大きさに圧倒されちゃうのでした。


でも「まだなにもしていない」時なんですよね、でっかくみえるのは。


実際、人が生きて、生活しているのが社会であって、人のいるところには、人が生きていける

環境がありますよ。それっぱかしが「恐怖」に負けて、見えにくくなっちゃってる。


交渉ごとと似てます。

交渉をするまでは、相手の出方が予想しかできないので、なるべく広範に、多彩に

考え方を緩く広げておいて、相手の出方次第で話の絞り込みを相手との話の中で

収斂いていきますよね。


自分のことばっかり喋っても通らないし、相手のいい分だけを通しても不利益になるでしょう?


出向いていって、相手と話をし出す機会を持ち始めると、それをする前の自分は

「いったいなにに怯えてたんだっけ」となったのでした。

つまり、頭の中で想定してるうちの、考え方の枠は「大枠」すぎて、相手をでっかく見積もり

過ぎるのでした。相手の投げかけてくる要望ばかりを想定して焦りまくっていますが、

実は「話してる間に要望も期待もシフトする」という想定をあまりしていなかったのです。


相手も、会社も人です。

話して「落としどころ」を探って、加減の、工夫の利く部分を探るのです。

早い話が「表に出してる話とはちっと違うかんね、実態は」と、早々に

話を「変えて」きます。ほとんどそうです。ほとんどですよ。

ですから一概に初見で得た情報に「これならなんとか」「これは無理」とか

頭の中で検討するよりも「まず聞きにいって、会ってみて、なにが変わってくるのか」を

試しにいった方が断然いいですよ。だって変わるんだもん。変えてくるんですから。

話してたら「変わるもの」なんてもので、いいの悪いのと検討してた自分の時間こそが

無駄になっちゃいますから。いいですか、変わりますからね、ほとんど。


その時点で当初何も分かってなかった「先方の会社さん」は、「話すと分かるところと

譲れないところが出てくる会社さん」となり、盲滅法に頑張るばかりが全てじゃない、と

余裕が少し生まれます。


これが!

これが求職する人の、最初のときは予感しにくい点なのです。

自分が入っていき、自分で話した分だけ、事態が変わるんですよ。


遠くから見渡してるひとには、どこまでも不可知な「情報」でしかなかったものが、

アポイントをとり、出向いていき、挨拶して、話してると、要望も出てくるし、

業界の動向も分かるし、その企業がどこのどんな業界でもまれていて、今、どうしてる

のかが、手に取るように分かります。採用不採用の前に、ものすごく有益な勉強が

できるのでした。


だって出向かなかったら、知ることも、立ち入ることもなかった業界や、ビルにずんずん

入っていけて、話まで聞けるんですよ。そーれだけでも有益です。そして、自分にそこの

企業が見合うのか、見合わないのかもはっきりしてきていいじゃないですか。


強調したいんですけど、ピンチのときは立ち止まるんじゃなくって、動いてしまえってこと。


状況は不動、って見立てちゃうのは、妄想の世界です。

状況は、ぎゅんぎゅんうごいてるところでした。動けている会社こそが、いきがいい会社でした。

状況ってやつは本当に水物であって、会社ってところは本当に現実を生きてる会社であるほど、

その「動きまくる状況」に応ずるために、内部に留まってる人材だけに固執してられるほど

固定化なんてしてられないものです。そう感じました。


そうは言っても、実際30歳まで、とか40歳未満、なんてな年齢の規制、

各種資格、免許の有無で検討すらできない企業もありました。それは先方で働いたら

それなしにはどのみち続きようのない、最低限の必須アイテムなわけですから、

舌打ちなんかしないで、縁がないのさと思えば済むのです。


むしろ、私は「年齢制限」の緩い会社にちょっとした「懐」を感じました。

口惜しみじゃないですよ。うん、そーゆーんじゃなくて、社会はある程度揉まれた人の方が

便利に思ってくれる瞬間や機会があるってこと。


若い人が「自分に合ってない」「聞いてた話と違う」「休みが思った通りではない」などで

話をしっかりしないまま、辞めてしまうことを8割くらいの会社で感じました。

会社側も「面接の冒頭で」はっきり残業のこと、給与のこと、休日のことを比較的

包み隠さず早口で説明してくれるケースが多かったのです。聞いてると嫌んなっちゃうような

会社側に不利益になりそうな実態まですら、そこの時点で赤裸々にしてくれました。

「話しておいたんだから、もうあなたは知ってるんだから、あとで『知らなかった』は

もうないんですよ、さーて、じゃあ本題」ってなもので、そこから諸々の詳細になるのでした。


こーゆーのって、失業したばかりの頃って想定してないじゃないですか。

どこまでも世間は冷たく、自力でなにからなにまで用意しなくちゃ、生きていかなくちゃって

心が荒んでるときじゃないですか。

早めにね、動き出してさ、「状況ってのは変わるものなんだ」ってところにまで心を

持っていけると、どこかで「あとひといき!」って気持ちが切り替わるんです。


いいですか、状況は、変わります。

変わりますからね。

大丈夫ですよ。

怖がってるほどのことはないですよ。



今回は勉強になったなあ。

どこか新鮮な気持ちがあるのでした。いや、実際はこれから覚えなあかんことがわんさか

あるだろうし、新しいことが性に合うのかどうかも分からない部分もありますよ。


でもね、世間でまだ仕事探し続けて、黙って頑張ってる人に、なにかできないかなって

今回思ってるんです。仕事失ってからの、あの、テレビを見てもラジオを聞いても

「自分向けにやってくれてないんだ」という疎外感ったら、なかったな。


ひがみ、と呼ぶなら呼んでくださいね。

いざ、困ったことがあっても、役に立ってくれるものに、もっと出会えると思ってました。

思ってました。

思ってましたからこそ、安心をして「普通」を過ごしていたのです。

(普通、というのは、安心してないとできないのです)


でも、いざ、となってみたら、役に立ってくれるものは、あんまりなかったのでした。

ですから、こう思います。

安心してちゃいけなかったんだ、って。「普通」を離れたとたんに、自分がしてた「安心」が

足かせになって、一歩踏み出すのにも躊躇を覚えました。出遅れました。

大丈夫、ではなかったんだ、って。「何とかなる」のは「なんとかした」人のもの

なので、「なんにもしてない」人には、なんにもないのでした。事前にそう思ってたほうが

よかったよ。もう。


トーゼンですか?

トーゼンですか?


いざ、って人に対して、冷たいですよ。

よくこれで「普通」で「安心」なんかしてられますね、とか思いましたよ。

すねてるんじゃないんです。怒ってるんでもないんです。

いざ、ってものに対して、「いざとなっても大丈夫」にしておきたいのでした。

そしていざって時に、冷たく感じさせない振る舞いをできるだろうか、って思ったんです。

今のままじゃいかんなあ、と思ったのです。答えがあるわけじゃなしにですね、

このままじゃいかんな、って。そう思ったんですよ。


いざってときに、相談できて、助力してくれた人は、やっぱり全然違いますもの。

いざってときに出ますね、自分がどこに軸足を置いていたのかを。本当に、勉強になりました。