作成日: 13/10/14
修正日: 13/10/14
スタンドアロンなつもりじゃないけれど
そこに、そこで、そうあるだけ、ということ
今年、三寺参りという飛騨市でのお参りを観に行く機会に恵まれ、その時に撮った写真のひとつに
お坊さんが映っていた。寒かったその季節。みんな各々の防寒をして、寒さを忘れるように喋ったり
ふざけたりして、お参りを慈しんだ空気をまとってわいわいしてる中、本当に慎として手を合わせてる
お坊さんの静かさがとても心に残ったのです。
この地域の信仰はなになんだろう、ということすら不勉強な私は、親鸞上人の活躍された場であると
あとになって知り、婉曲的に、別件で「歎異抄」をどうにかこうにか読みたいものだと思っていた矢先、
五木寛之先生の「私訳歎異抄」なる抜群に私向けなハードカバーに出会え、今読んでおります。
不思議な本です。力を抜いていいような、抜かずにおくような、でも芯にしみてくる内容でした。
このごろテレビをみてまして、「東京」のテレビメディアが他のローカルメディアとなんか違うなって
かんじてたんです。何かなと思ってたら、東京のメディアは、東京への愛がにじんでるんですよね。
自分の地域が好きで、それを公にも隠しながらも無自覚にもそれを放っています。
ローカルな地域に住んでる地方へ「全国放送」で「東京の下町」を情緒たっぷりに示されても
正直わからない・・なぜこれを見せられるの・・・と私は感じてました。それは「京都」でも
「大阪」でも同様なのでした。
自分の住んでる地域への愛着がちゃんと「ある」ということ。それは「地元意識」程度のそれではなく、
流転してその地域に「住み着いた」人ですら、その住まう地域への愛着が備われるほどに、おおらかな
魅力を感じ受けるのです。
大阪に住んでた時には、モロに大阪、ひいては関西好きやねん、という空気が、びりびり伝わって
きてた。食べ物にも、着るものにもそれはあったけれど、なにより「大人」が自分の住まう地域を
どうしようもなく好きであると、声を大にして、関西弁でねじ込める地域なのでした。
返して愛知、名古屋の「地元愛」は基本的に発露されにくいのです。大人も評価したことを
言わないし、名古屋弁も三河弁も東京・大阪に出向いた人はまず喋らない。標準語の
ふりをするけど、イントネーションでばれてしまう。
司馬先生の本だったと思うんですが、戦国時代に尾張武士っていうのは弱かった。結束も
弱かったみたいな記述があり、それが故に鉄砲隊のような「個々では非力な総体が、
新鋭の設備と統率力のもとでは威力を持つ」的ないきさつを書いたものがあったような
気がします。当たってるかもと思ったのです。
個々の人物に威力も冴えもなくとも、勝ちに向かうという、いかにも今で言う「トヨタ的」な
進撃の仕方が、東京的な「自己愛」の発露も、大阪的な「アピールの強烈さ」にも馴染まず
黙々と没個性に邁進できる地域性を出してるなあ、と思ったのです。
つまり「どこまでも、アピールの必要を持たない地域である」、と。
「できれば知らせたくない」のまんまである、と。
歎異抄を読んでいて感じたのは、自分より大きな知恵の総体であるなにかの前にあって、
人というのは念仏を「自然と唱えちゃう」という「授かり」をもって、生きることを大切に
できる、とおっしゃる親鸞上人の考え方(の、記述集こそ、歎異抄)が、どこか私の住まう
地域の「アピールのなさ」にかぶるのでした。
名古屋に感じるのは「できれば目立たないで」みたいな、空気が基本的にみっちり詰まってる。
でもそれを自然体にすれば、なにも問題なしに生き続けられるという「いわずもがな」な平和さ加減。
(三河のそれは、もう少しがさつで大ざっぱなおおらかさになる気がする)
声の大きい人が勝つ、というのが私の最も嫌いなパターンですが、かといって声を上げない人が
そのままただ大丈夫、っていうのもどうなんだろう、とは思うのです。
声を上げないなりにも、たどりつける幸せはあってもいいじゃないか、と。
都合のいいことばっかり書いてますな。
いい人に良い来世、いわんや悪人ならなおさら、のあたりが強調されちゃいがちな親鸞上人の
言葉や思考傾向の優しさ、おおらかさと、地元名古屋圏独特の「別段目立っておく
必要はない」を是とする思考傾向の「あり方」が、やけになんだかリンクしてくるんですよ、このごろ。
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