作成日: 15/02/01
修正日: 15/02/01
決め手
新聞のこと
大阪で築40年近い文化住宅に住んでいた時、階下の部屋からガス漏れ、それがガス爆発とつながり、
私は部屋に居たので2度の「小爆発」を体感した上で、住宅ごと部屋は吹き抜けとなりました。
大家さんがいい人で、消失した部屋から歩いて5分の距離に、別の部屋をかしてくれたのでした。
事故当日は地域の公民館で過ごさせていただき、翌日から「着の身着のまま」で生活を再建したのが
25歳のとき。
仕事仲間や実家の家族には連絡していたので、そこそこの物資は揃いました。印鑑も契約書の類いも
全焼してます。財布も通帳も、です。火災保険には入ってましたが、「罹災申請」を消防署に
出して、保険屋さんがその完了を済ますまでに1ヶ月はかかるそうです。
部屋はあっても、なにもないのです。
急遽借り受けることになった部屋は、朝目覚めたら「カビ」が部屋一杯に感じ取れるものでしたので
さーて、これからどうしようかってなってた矢先に、部屋をノックする人がいます。
誰だろう?とドアを開けると
「部屋がなくなってるやん。びっくりしたわー」とおじいさんが立っています。
見たことがある人です。「探したわー。こっちにきてるって聞いたもので」と、
「朝日新聞」を渡してくれました。
そう、新聞屋さんでした。
うれしかったなあ。あの新聞。
部屋もなくなっちゃてるし(まだ丸焦げの残骸となっている状態)、お金も服も食器も全焼してるときに、
新聞は来たの。もちろん引っ越しの手続きもしてないはずなのに、新聞屋さんのおじいさんは
私を見つけ出してくれて、新聞をホイ、と渡すのです。
もっとも「普通の生活」に戻ることだけが難しかったときに、ぽんと「普通の生活」が入ってくれたのです。
あの嬉しさは、例えようがなのです。ただうれしかった。
だから人を喜ばせる時は、あのおじいさんのようなスタンスがいいなと思ったのです。
そして、今後どこに引っ越しても、朝日新聞をとることに私は決めたんです。おじいさんには
関係のない決意かもしれないけれど、人ってこんなふうに節目節目を決めるものなんじゃないかな。
大した理由じゃないのかもしれないけれど、そんな理由で新聞とらなくてもいいんだろうけれど、
うれしかったなあ・・というしみるような気持ちがずっとあって欲しいところもあって、「決め手」に
なったのです。
他にも自分の中で「決め手」になることがいくつもあって、「いいこと」も「嫌なこと」も「決め手」に
していくんだけれど、そういうのって他人には「こだわり」でしかないのかもしれない。
でもその人には、お腹の底からじわじわくる一番しつこくしていたいことなんだもの、
そうし続けると決めたことなんだもの、それでいいんでしょう。
中東で日本人がお二人、無惨な目に遭ってしまったニュースを連日見せられ、私は上のエピソードを
なぜか思い出し続けています。
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