作成日: 15/08/02  
修正日: 15/08/28  

つらりつらり

落書きエッセイ1


今日も髪を切ってもらった店の店長さんは、言葉少なの私の要望を上手に拾ってくれる方で、
酷暑続く毎日の中で、髪が熱を保つ事を忌み嫌う私の希望と、見栄えのする髪型とを
マイルドに着地させてくれる。こういう人と出会えると、いいものだなって思えます。

車に座席に積んでいた「背当て」と「太もも近辺」に「送風」してくれる、シガーソケット経由の
電源で動くシートを今日買い直しました。毎日35度を越えるような酷暑では、この送風一つが
大きな効果をみせてくれるもので、ほっとしました。

2年前から比べ、随分夏の暑さに対する用心のしようが慎重になしました。おかげで今年はまだ
熱中症の症状がでなくなっています。フロントガラスには熱対策のシートが張られてるし、日中の
でかけも極力避けてるし、なにより体にストレスを与えない事に準備を随分するようになってる。

それでも月に一度は出張の続く生活なので、出先でも困らぬようにどこかそこかで心が備えてて、
体調管理、サプリメントの拡充は丹念に行うようになった。

若い頃は、若いまんま、多少の無理は通して、道理をねじ曲げました。しばらくはできます。
でもツケはたまるもので、それも年を経てからてきめんに体に出てきました。容赦なく出ますね。
それをここ2年で随分持ち直してきました。メンタルも、体も、かなり治ってきています。
好調、というのではなく、「維持して、普通」ということが肝要なことなんでしょうね。

部屋には「水だし珈琲」用のポットを今日買いそろえました。8時間水出しで、アイスコーヒーが
きちんとできました。しかも美味しい。水出しだと苦みが随分減ります。珈琲なのにね。
それはお茶にもいえることで、カテキンの抽出が抑えられるようなんです。ごくごく飲めます。

体調やメンタルが「普通」になってきて、ようやく「新しい事」『次の事」に手出しができるもので
自分とその周りもどこか余裕があることで、声をかけやすくなるものなんだなと、うっすら思うのです。
「気力の充足」ははためにもみえるもので、しぐさや姿勢、口ぶりなどに現れます。休息なんて
昔はいらなかったのに、目が見えなくなりはじめたり、遠巻きにでも親族にいろいろあったりして
若いころに「見過ごす事にしていた」ことは、縁を伝ってやっぱり還ってきます。

「備え」をすることの便利さや頼もしさが、実生活の中でウェイトを大きくしてくる年になったんだね。
(してない人は、他人に迷惑をかけることを無視できる人でもある)

「自分がしっかりしてりゃ、たいがいのことはなんとかなる」と豪語してきました。なりますね。
なんとかしたもの、というのは「多少の無茶」をしてるので、反動が伴いました。
「やりたいことをやる」というのと「やりたいことをやれても、幸せではないこともある」というのが
自然と馴染めてきたのです。いいとも悪いとも思いません。
ただ、そう、であるということ。

良ければ良いで、それなりの苦痛があるし、悪ければ悪いで、その中に「そこでしか見えようのない」ものが
気づけたりと、どうあっても楽しめるものなのだというのが、年齢を重ねて楽しめるようになってきました。
そして、そういう風に既に楽しんでいる人というのがちゃんといて、そういう人たちと交わると、なるほど
人は多彩なほど豊かさを味わえると沁みるのです。凡庸に、適当にしてるふうでいて、人は虎視眈々ですよ。
普通の人なんていないもんです。どこかかしこか、愉快にできてますもん。

味わうには、それなりにテクニックが要るんですね。そういうこと、大事だって見つけるまでがなかなか。