作成日: 15/10/25
修正日: 15/10/25
フレンチに始まり行楽万歳までの話
思いつきメモ。
フレンチ料理の盛りつけや見栄えの良さに、フランスには超絶技巧があるにちがいないと
値踏んでいた私は、あるときテレビ番組で、お皿の上のソースなどをキュッと拭いたり、
バーナーで焼き色をつけたりするのを見て「なんだよ!一発できれいに仕上げてたんじゃ
ないのかよ!」と大いに動揺し、打ちひしがれたことがあります。
所詮テクニックのお話なんスか、と憤らなくてもいいのに憤ったのでした。
プロ野球などでも、超すごい投手や天才バッターが、ぎゅんぎゅん相手をなぎ倒すほどの
才能でブイブイ言わせているのだと思っていたのが、意外にも心理戦や人生を犠牲にするような
猛練習、鍛錬の賜物とわかったときにも、同じ落胆をしたのです。突出したナニカではなく、
逐一仕込みのあるテクニックの介在したもの。
ジブリの宮崎駿さんのアニメがものすごく突出した威力を放っていたときに、あの作品の陰で
私生活の家庭としては円満というのではないものであることを知ったときにも同じ感慨を
持ったのです。なにがしかの犠牲なくては、突出したナニガシカには至らないのは、私も
経験のあるところで、犠牲にする覚悟のあるものへ、人生は返礼を返してくれます。
時間であり、縁であり、お金であり、投入するに値しようがしまいが、その人がそれにふさわしいと
思ったことに没入するとき、成果は現れる。見合うとか見合わないではなく、やりたいからやるという
のんきで独善な決意が、人をどこかに運ぶし、まわりの人に不幸を与える。
カマボコを板からはがすには、包丁の背でしごいてやればきれいにはがれる、とか
コップは重曹で磨いてやるとピカピカになるとか、コツやヒントで事態が劇的に向上するというのは
テクニックを「知ってる/知らないでいる」という度合いの話である。わかればある程度たどりつける。
テクニックだから。
私はどこかですごいものっていうのは、代替の利かないものであることを期待しているようです。
工夫やコツやヒント、テクニックは、手品のタネあかしのような幻滅が伴ってしまうのです。
でもさ、アポロの月面着陸とか、ビートルズのインパクトとか、スーパーカーブームのように、
もうブーム幅が恐ろしく大きくなりすぎちゃって、どうにもコントロールのしようのない
ムーブメントってあるでしょ?おさまりのつけようのない、自然の、台風のような存在感。
惹かれるのです。どうしようもないものに、その奔流にほだされきってしまいたいのです。
何か起こるっていうのは、台風とその被害の関係のようなものです。
否応なく巻き込まれるから威力はある。そして代償に被害が伴う。
だから変われる。だから新しく感じられる。被害や代償は免れない。必ず寄り添う。
勝負事では、相手よりほんのちょっと勝ってるだけで勝ちが寄越されるのだが、そういうんでは
なくって、「圧倒的すぎる」ことで無視もできなくって、かかわり合いたくなくても巻き込まれててと
いうような、もう各々の事情も状況もぶっちぎられちゃう暴力的な存在感。
浅野いにお先生の本を読んでて、スタンスの幅がいいので感銘を受けました。
まんが描いてるけど、まんが世界を描きたいわけじゃなくって、でもまんがでしかなぞりようのない
琴線に触れてて、非常に心地がいいのです。そう、居心地がある感じがスッゲーします。
まんがとかアニメとかもうちっと気楽な間合いでいいと思うんです。そうじゃない?
そんでもってスゲーならベターだし。
バンドをやりたがる心理ってのが私には1mmも存在してないのです。歌も歌いたくない人です。
ライブとか居心地悪いんスよ。巧い人、好きな人にはごめんくださいね。そのままどうぞ。
あー、天気いいなあ。1週間くらい晴れっぱなしなんじゃない?
行楽にはいいよねえ。俺は本読んでるけど。みんな行ってこい行楽へ。エンジョーイ!
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