作成日: 16/06/26  
修正日: 16/06/26  

本家(ほんや)のおじさん

長谷富士夫っていうすごいおじさんが桐山にいました




ながや家がながや一族が、一つの樹木であるなら、大きく、太い幹であり、根っこであった
長谷富士夫さんが亡くなりました。6/23の早朝5時台に、病院で、胆道がんとの闘病の末でした。

名前で書いてもピンと来ません。「おじさん」「おっちゃん」「本家(ほんや)のおじさん」が
私の中の呼称で、父の兄で、丸くって、おっきくって、声が大きくて、笑うと顔、一杯に笑顔になる人で
怒るとずっと怖くって、私の人格形成の大きな一部の方でした。

一回観たら忘れない風貌ですし、誰よりもたくさん働くし、みんなに食べさせたい人だし、
自分のことが後回しにできる人。愛知の、幸田っていう中でも、桐山っていう小さな集落で、
たくさんの「ながや」宅の集う地域に、「長谷富士夫」を中心に広がってる親族一同があるんです。

おじさんとのエピソードは多すぎて、楽しすぎて、心に残りすぎてて、ここに記すことも
「え、どこから?どれから?」とためらいと困惑を伴うほどです。

冒頭の写真にあるように、おじさんは見てくれよりも、行ってることや、内面に、ほんとうに
優しさを満たしてくれる人でした。
本当に、かっこいい人でした。ふたりといません。昨日告別式を終え、おじさんがこの世の中に
形としては見えなくなってしまったけれど、死ぬまで忘れません。死ぬまで頼りにします。
迷ったときは、おじさんがどう怒ってくれるのか、思い出します。笑うときはどういうタイミングかを
おじさんはどうだったかで思い出します。

世の中に、いてくれて当たり前だった人が、いなくなる切なさって、なんなんだろう。
いなくなるなんて思わなかった。病院で入院してても、癌だと分かってても、余命の話があったにしても、
「知ってて」も、全然分かってなかったことが、亡がらを前にするまで、全然分かってなかった自分に
びっくりしました。全然、全然亡くなるなんて思ってなかった自分にやっと気づけて、
おじさんの「おるもんだ(三河弁:居てくれるものだと)」という前提が、間違ってることに驚く有様。

火葬場で、棺の中にいとこののんちゃんがうなぎをいれた。行く道で、お腹が減っちゃうといかんもんで、と
のんちゃんはいいながら、うなぎをいれた。そういうのが似合うおじさんだった。そういうことをしてあげたい
親族を作り上げたおじさんだった。兄弟姉妹がいじめられれば、いじめたやつのところに怒鳴り込んで
くれる人だった。だからうちの父はもの静かで真面目でいられたし、おじさんとの信頼度は
たびたびこのエッセイたちの中で触れても来ました。父とおじさん(兄)は、ほんとうに二人で
ひとりみたいに、仲が良かった。片割れ同士みたいに、仲が良かった。

おじさん、おじさん、ありがとう。ありがとう。忘れません。あなたを忘れません。いつまでも忘れません。
かっこよかったよ、おじさん。自慢のおじさん。ああ、もう、まだどこかにいる気がするよ。
いいよ、いてよ、いてほしい。