作成日: 16/06/26  
修正日: 16/06/26  

かーくん

こんなもんなんで、というボーダーラインを感じさせてくれる人


かーくん

かーくんは昔から一緒に遊んでた人で、一つ年上です。普通の人で、立ち回りがすごく上手で、
機転が利くのです。小学生のうちからとてもよくしてくれました。

昨日、おじさんの葬儀で久々にあいました。もうすぐ50歳近いのに、小学生のときとまるまる一緒の
応じ方で、「まぁーくんー」といつものように声をかけてくれました。「かーくん、お久しぶりです」と
こっちも小学生の頃と同じく話せました。

不思議な人で、本当に普通なのです。本当はやってることも、言動も、ちょっぴり過激な瞬間も
あるんですけど、かあくんにかかると、不思議にそれが目立たず。いつも「当たり前」みたいに
スイ、と片付ける側にいるのです。案の定、スイと片付くのです。それでいて目立たず、おごらず、
笑っているのです。そう!何一つ深刻に陥らないのです。決定的にならない、というか、もう魔法みたいです。

幼少の頃に「トミカ」のタワー型ミニカー遊びを延々やってった気がします。大人になって
消防団に入って、鼻からビールを注いだ、とかーくんにいわれても、全然覚えがなくても、まー、かーくんなら
いいや、ってフツーにおもえる不思議さがあります。

でも人生50年近くたっても「ずーっと普通にかーくん」でいることって、いまさら「はっ!」としまして、
かーくんはエッセイに残しておくに値すると思いました。
年配者にも悪くいう人はおらず、かーくんが悪口を口にしても、どこかユーモラスで、真面目な顔つきのときも
「きっと裏で微笑んでる」っておもう、一種のうさんくささがまたなんともユーモラスな人なのです。

一つ前のエッセイのおじさんといい、このエッセイのかーくんといい、私の性格の大きな部分は
おおむねこうした「あんまり普通じゃない」ひとたちが、普通の顔つきで接して来てくれ続けてた中で
醸造したもので、モンタージュみたいに「人様のもの」で構成され続けて来た気がします。
オリジナルの自分ってもんじゃなくって、普通の顔つきで、普通じゃないパンチの効いた人たちで
随分私は彩り豊かな人のつながりの中にいられたんだって、昨日、思ったのです。

かーくん一族も、みんないい人たちで、少しも、これっぽっちも嫌な気持ちにならないのです。
世の中に過ごしていれば、もっといろんな嫌な面にもでくわしそうなものですが、ことさら出身地域の
桐山の人たちに、私自身はそれが見いだせないのです。なんていうか、総和のように「みなさんそれぞれ」が
ごった煮に「こういうもんなんで」が前提になっているのです。細かくは否応あるんでしょうが、
それはもう「いい、悪い」じゃなくって「そういうもんなんで」でいられる基盤なのです。
だから誰彼得意不得意ってんじゃなく、どこか人を「こういうもんなんで」と早々に「あきらめ」にも似た
肯定感が先走るのです。

かーくんの「あり方」っていいなーって思うのです。多分30年経っても、かーくんはかーくんで、
トミカで遊んだときみたいに、ずっと「まーくん」「かーくん」でやっていそうな気がします。
かーくん前にすると、自分の性格が引っ込み思案だなあって思えるのです。負け越しちゃうもんねー。
んでもってそれがここちよいってんだからね。ありがたいですよ。