作成日: 16/07/31  
修正日: 16/09/25  

選書はたのし/父のすきやき/ほか

つらつらひとりごと


隔週で図書館に行っては最大冊数借りるのですが、それでも読み通せるのでけっこう
本を読んでるほうになるのかもしれない。不思議なもので、本を選ぶにしても
「いい選び」ができる週と、てんで、からきし外れな週があるような気がします。

それはなんといいますか、「体調」のようなものに近いのです。気分といいますか、
雰囲気と申しましょうか、本棚の前で散策してると、自分の目の使い方、脳の中の
心地よさ感、っていいますか、そういうのが帰宅してから本をめくるとぴんとくるのです。

選んでるときには、いつも「一番いいもの」をチョイスしてるはずなのに、帰宅して
とっくり向かい合うまで、その選択が適切かどうかが「不明」なのがなんとも不思議。

少なくとも2週間を「楽しみ続ける」ことを期待してるので自分自身の「見通し力」とも
いうべきものが、本領発揮できないと、しょんぼり1週間をすごすハメになるのでした。
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父75歳の誕生日に帰省して、家族でケーキを食べました。そこには父の味付けの
すき焼きがあり、母は決まって下ごしらえのあとに、父に最後の味見を依頼するのです。

今回、父に味付けの工夫を聞き受けて、部屋に戻るなり昨晩食べたばかりのすき焼きを
父から聞き受けた味付けで作ってみました。うぬぬ、やはり違う。水が多いのか、
砂糖が足りなかったのか。

父と話してて、冷凍おにぎりが美味しい、って話から、チャーハンとかも美味いと聞き、
買ったことのなかった冷凍チャーハンを仕入れてみました。

んで、ふと、私は父が好きなのだなぁと思いました。
何でもできる人です。なんでも相談します。てきめんな返事でも、曖昧な弱ったことでも、
全部すわりがいい、っていうんでしょうか。すんと肚に落ちるのです。その感じがすごく好きなのです。
いつまでも体得に至らないのが歯がゆいのです。

来月の高山旅行のためにガイドブックを実家に置いてきました。
できれば新穂高の景観を見下ろして来てほしいな。紅葉だといいな。
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ピクニックとかバーベキューとかハロウィンって、もういい加減なじまないってあきらめて
くんないかなー。どうしても飲み下せない違和感があるのです。
ママ友みたいな「がんばってる感」が痛いのです。ふつーでいればいいのに。ふつーに。
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毎日綺麗な成人女性を見られる仕事をしています。時には写真、時には動画です。
一年中ガンプクなのです。で、感じるのが、誰もが親御さんに御礼の気持ちがあって、
おいしいご飯をプレゼントしたり、お礼が言えるときにお礼をいっちゃう素直さがいいのです。

ありがとうって、すごく照れるんです。でもこもるものが、すごくいいのです。
こめたものが、伝わるんです。実際言ってることではなくって、言えてないこともこもるんです。

言ってなくても大丈夫だからね。
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一部の友人には話してることなんですけど、「醸す(かもす)」っていうのを自分の中では
けっこういいなって思ってまして、それは運というか、巡り合わせというか、普段自分がしている
ことに「返礼」で巡って来るナニガシかが、人生にはある訳です。

こうしてても、実際「絵を描いて」ってお仕事も来てくれますし、いつの間にかビデオの仕事も
やってるわけで、ふらりとやってくる「唐突に見える機会」にきちんと「応じれますよ」な
自分があれば、じわじわつながるんですよ、人って。忘れられないで、脈々するわけです。

そんな人生の機微が、年を経るごとに、イマドキの言葉で言えば「じわる」わけです。
感覚できてこなかったナニガシカが、感覚できるようになるっていうんですかね。
若者の、粗野で不細工な感性ではいじりに来れない部分へ、スイと入っていける感じ。

準備、をしておけばいいわけです。してない準備には触れられませんし、周りも声をかけません。
してる準備に、波が来るんですよ、人生って。ザブンって。
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