作成日: 16/11/27
修正日: 16/11/27
逃げ出す人に共通する兆候
逃げ出さない人の傾向
急に二人の若者とお別れすることになりそうです。若者と言っても一人は30代前半で
もう一人は20代中盤の男性であり、まあオジサンなんでしょうが、私からみやれば
それは若者と言える感じの子。
一緒に働いていた人たちですが、一人は突然ぶっちぎれて裁判沙汰までにおわしているが
まぁ突然退社となった。引き継ぎもほとんどできず、残念なお別れ。
もうひとりは気の弱さからもう2ヶ月しないうちに辞めたいと、表向きは穏便なものいいだけど、
社長さんが怖くて仕方ないという理由。
このふたり、抜けるに抜けられぬうちはしぶしぶでもがんばってたし、手抜いてもいないし、
なんとなれば社内の誰よりも早く出勤して、準備もしていました。
ところが、後輩となる新人が来たところ、ここぞとばかりに姿勢をはっきり示すように
なりました。
これまで、よその職場でもみて来た光景なんですけど、「会社が会社の事情でいれた人材」を
アルバイトとか、潜在的に辞めたがってる人は注視してて、ここぞとばかりにそれを利用する。
つまり「会社の事情で手間ひま工夫を凝らしてやっと入社させた人材」を「自分が辞めやすくなる
機会」ととらえて積極的に利用する。自力で準備できなかったり、声をあげられない人、
微妙に頭のいい人はこれを平気でする。悪いと思わない。機会としかみない。
それその瞬間まで培って来たり、我慢して、蓄積したことはぽーんと放り投げられる。
人とくみ上げて来たり、人が助けてくれていたことで、かろうじて成り立っていた関係も
無造作に、無慈悲に放り出す。
だからそれをしちゃう人っていうのは、「その人の周りにいた人」の感情は与しない。
斟酌してたら、その機会は他の人が使ってしまうかもしれないし、第一他人なんだからそんなの
知らないよっていう姿勢が多いに目立つようになる。そのくせ自分かわいさが際立つので
周りの人はいよいよがっかりさせられるもの。
一方、「会社が傾こうが、つぶれると分かってようが、最後の最後まで居合わせてくれる」人は
おおむね頭が悪かったり、覚えが悪かったりの不器用な人なんだけど、おおむね「誰もに愛される」
愛嬌が、彼らの弱点を大きく隠してくれる。利害が、人の関係に侵入してこないのだ。フラットに
ただ、自分はよしなにしてるだけ、という潔さが基本にあって、いい、とか悪い、とかいう
安普請な知恵に身を委ねない。
「なんかわかんないけど、自分はそれでいいです」と貫いてくれる。この一見意味不明で
予見の難しい「頼もしさ」ってなんなんだろう。こういうのに、今まで何度も救われた。
そういう「人間の貫禄」のようなものが、「逃げ出せる人たち」には備わっていない。
逃げ出せる人は「ピンチ前に切り抜ける」を至上命題にしてるけど、どうにも食えない連中。
逃げ出さないことがいいことだ、といってるんじゃありません。
ただ、「今その行動をとっちゃって、手に入れられなかったもの」、まぁつまり「ピンチに
真っ向からぶつかっちゃって、大被害・大損害被ってみたら、意外に拾い物が多かった」という
側面にはありつけない人たちだよな、とは思う。
「起こること」はただ「起こること」であって、「いいこと」も「悪いこと」も起こることそのものには
内包されていない。直面した人にとって「いいこと」だったか「悪いこと」だったかだけ。
上に言う「意外に拾い物が多かった」っていうのは、「いい」とか「悪い」のバロメータで
進路を決めてる人には、どこまでも、何も、ギフトをしない。実はここの「経験則」にこそ
実りが詰まっているのに。
ピンチ前に鼻を利かせた人は、「ピンチ」を感じちゃってるし、「ピンチ」に直面する前に
回避してるから、「ピンチ」がどんなだったかは、結局「でくわすじまい」なのだ。
だからピンチがどんなだったかは想像でしかないし、怖いままで、嫌なままで終わってる。
苦労だけはしたのに、結果も正体も見ないで済ます、という生き方をひたすら繰り返す。
そういう類いの「頭の良さ」は、他人には鼻につく。
冒頭に挙げたふたりの「辞める人」は、なにかといろいろ限界だったのだろう。
だから去ることは去ることでいい。「被害者」の顔つきをどんどん強めていく過ごし方を
自分に課してしまっているのは、他でもない自分。せめて残る人たちには迷惑を
かけないでほしいところだけど、そういう視野はびっくりするくらい狭い。
逃げ出せるときのこ狡さを、もっと仕事で使えたんじゃん、としか私には思えない。
じゃあね、バイバイ。
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