作成日: 18/05/25  
修正日: 18/05/25  

樹木希林さんの言葉

朝日新聞のコラムより


5月中旬の朝日新聞から、延々コラム欄をチェックして、切り抜きを
続けてきたものが、今朝の版でシリーズ終了のようでした。

それは樹木希林さんのコラムで、これまでの生き方のダイジェスト
でした。読んでて心地よかったのです。んで、この言葉たちを
新聞で読み捨てて終わってしまうのは惜しいと感じるものだったので
切り抜きという、ワタクシの得意技が発揮された次第です。

読み終えて感じるのは、樹木さんの紋切り型のような「言い放ち」の
見事さ。言い切るのねこの人。他の役者を「下手」であると、スパンと
言い切る。

もちろんもっと細かく色々感じてるんでしょうけど、気性でしょうね、
細かく説明する気もないのよ、ってスタンスが明瞭。短すぎることで
起こる「誤解」まで含めて、その短さの方が優先できる。すごいね。

んでその着眼点が鋭くて正しかったりする。心地よい。

私がなにより樹木さんのことで気になってたのが「姿勢」でした。
「自分の肯定感」がぶれない。自分の見え方も、他人からの見え方も
「どれでもいいのよ」って緩やかに肯定する。徹底してる。

相手のために、自分のやり方を変えるつもりがない。
自分のやり方を求められて、それを出し、そこへ注文がついても
きっと「できる限り」においてしか変更をしない。

頑(かたく)なさ、というのは現代においては、ちょっとした美学で
あった方がいいのかな、とよく私は思ってます。頑な生き方は、
不自由や不便を伴うし、短期的には被害も被るんです。被りますね。
とはいえ、不自由も不便も特段よしとする人には、頑なさは
放ることも無碍(むげ)にすることも怠れないもの。
これがないと、「唯一無二」のところには至れません。
唯一無二に至ると「交換が利かない」存在価値が生まれてきます。

樹木さんの文章に顕著に出てくるフレーズのひとつに
「私には~~できなかったけど」って言い回しがあります。
他の人はやれることでも、自分はやれることでもやれないことでも
「しない」と決めてることが優先されて、後悔感も反省もない。
潔いのでした。

「足りない」もまた肯定されていて、「ひらきなおり」みたいに
見えるほど、足りないまんまを悪びれないし、気にもしない。
ストレスフリーがいくつか完成してる。

そうよね、
気にし過ぎなんですよね、樹木さん以外の人が。
って、そう見えてきちゃう。

当人はコラム内でも苦労した、中腰のまま過ごしたみたいな
表現あったし、ご苦労なされてることも予感できますが、
通して見渡すと、やっぱり「生きる姿勢」の良さが際立ちます。
真似しうるものと、デキネーものが混在してますけれども
「折れるのは周りの方よ」って見えてくるほどの肯定感が際立ちます。