作成日: 18/05/25  
修正日: 18/05/25  

自浄

余録を持たされてるうちに示せるか


世間がきな臭くても、そこまでおりていってあげるほどのことじゃ
ないなら、無視して過ごした方が心に健全です。

このごろいい大人がみえみえの嘘ばっかりついていますな。
いけませんな。なにより本人が無様です。無様な時点で被害が
出てるじゃありませんか。

いやなに、生きて過ごせば無様なこともあるでしょう。茶番を演じ
なくてはならない時もありますとも。生きてればこそでね。

なにか悪巧みや他人に迷惑をかけるような企ては、起こしたあとに
「態度」を注視されます。
じーっと見られます。経過の仕方、人への応じ方、その人の思考の
流れを、周りの人が凝視してます。

その時に「自分で事態を改善する」方に向けようとすれば自浄が
働いたとは見なされます。抗えませんし、なかったことにも
できませんけれど、償う心持ちの加減で、被害者の溜飲は下がります。

でも自浄もできないほどの馬鹿がごろごろいることを、政治家から
学校のお偉いさん、省庁のお役人様、芸能人、都度都度みせられて
ほとほと疲れますね。

で、この「自浄」ができないあとが、なにぶん大もめになります。
七面倒くさい事態にたいていもつれ込みます。解決まで何年も
費やします。費やしたからといって、報われない終焉もままあります。
つまるところ、「早く謝れないと、傷は周りの人が希望したくらいには
膨らんで、奥深く掘り下げられる」のでした。

いやぁね。嫌ですね。

ただ、「自浄」能力があるか、ないかの見極めに、わずかな時間ですが
人は相手に与えます。その機会を活かせない人が、本当の駄目な人です。

過失にせよ、不覚にせよ、失敗はするものです。
その時です。自浄できるか、そのつもりがあるかを、その余録のような
時間が許す限り、発揮しておくべきなんでしょうね。
このごろのニュースが本当に心が痛いですなあ。