作成日: 18/06/06  
修正日: 18/06/06  

父の親友

向こうで出会えてますように


先週帰省したら、母がお通夜、お葬式に出てたのよという。どなたの?と
聞くと、先週入院したと聞いてた、父の高校時代からの親友の方でした。
父が1年半前に亡くなった時に、父の友人連で来ていただけたり、その後も
実家仏前にお顔を出してくれてたりしたのです。

父とは懇意にされていて、もの静かな友人。父が一時帰宅できてたときに
二人きりで語ってた内容は、聞き取れないくらいに小声で、それでも父が
その友人さんと親しげに語ってる様子は、昔からの、ずっと続いてた親交を
予感させるものでした。

父が心許して喋ってるのをみてるのは心地よかったし、こちらが預かり知らない
父のその方との歴史が盛り上がるというのは、豊かな時間だったと思う。

静かに喋っていられるというのは、それで十分な意思疎通がはかられているって
ことだ。年期を重ねた友情は、量でもあり、質でもある。景色としてさまになる。
頭のいい人同士の会話の景色そのものでした。

人を思いやる、というのは家族のそれもあるだろうけど、友達という、人生の
どこかで「知り合えた」だけって理由から、延々続くという思いやりは、
縁故以外の強さがある。親しい人が亡くなるというのは、突然ぽっかりと
埋まらない空間を抱くことを強いられる。

父の友人さんは、随分何度も病気を患い、何度も手術し、何度も入院され
決して身体の丈夫な方ではなかったけれど、父より長生きされたんだと
いまさら気づきました。小さな病気や怪我があった方が、大病するよりも
身体に気を遣えるという通説も、信じられます。

父を知ってて、仏前で父の話を聞ける人が、また一人この世を去りました。
あちらの世界があるのなら、父はじいちゃんばあちゃん、慕ってたお姉さん、
お兄さんに出会えていてほしい。そして、ご友人の来訪を静かに受け止めて
くれてると思う。

ご苦労様でした。ありがとうございました。父を向こうでよろしくお願いします。