作成日: 19/07/23  
修正日: 19/07/23  

じぶんのそばにあったもの

根っこに根付いたもの


テレビ観てて作家タレントさんが出てて「あー、中田が学生時分に読んでた本の人やな」って
ぼんやり思いました。30年前の記憶で、返せば30年知ってるだけの、読んだことのない
作家タレントさんの名前と顔を、知人の名で、私の脳内でストックしてる場所が
あったんだなー。

で、ひょんなことから、それを読み出したり、知りはじめたくなることがあるわけです。
ずーっと脳の片隅にストックされてて、フイに私の人生の方に顔を出す感じ。
時分の趣味とは明らかに違うものでも、イントロ部分が頭だけニョキっと出てて、
ツイ、と引っ張りだす感じ。

音楽聞いててああ、池内君こーゆーの薦めてたな、とか古いパソコン見かけて、ああ
岩本君こーゆーの推してたな、とかね。部屋の小物で宮里君、外国の本で濱島君、
中型バイク見て七海。吉野家の牛丼食べてたら正月君、お芝居のチラシ見かけて馬淵さん、
スズキのアルトみかけてナカモリ、「ブルーサンダー」見てて尾崎パパ、海洋堂の
宣伝見て岡部さん、カンフー映画見て映研。「狭い部屋」「汚いトイレ」「並んだ炊飯器」で
平和寮。歩いていけるコンビニは宝屋。その横にも芸大の寮。種田君とかジャガーとか
住んでたなあ、とか。その横の道を山の方に向かっていったら、でっかいチキンカツ
売ってる店があったな。スクーターに「何人乗れるか」で一斉に乗って、一斉に田んぼに
落ちたっけな。ノーヘル、無免許、飲酒の友人にカーナ(原付)貸して、自損事故起こされて
二十歳の誕生日は警察と病院にいたっけな。あのときはじめて生の青森の言葉を
電話で聞いたっけな。ナカモリのおじさん、映画デビューしてくれたなあ。河津さんに
モーションかけてた女優いたなあ。笑ったなあー。
テキーラ・ラピド、寮の部屋ん中、床をビチャビチャにして飲んだなあ。
後々梅田の店で映研の人らとあれやって「もうお酒ありません」っていわれたっけなあー。

食べ物減らして、やったことのないコンサートの警備員とかやってお金貯めてカメラ
買いに行ったなあ。あン時あのカメラがあって、翌年いくつか受賞できて、その勢いで
カメラ指向強くなったよなあ。どいんの声低かったなあ。宮地かっこよかったなあ。
みんなでえっちゃんの誕生日の歌歌ってたなあ。夕刻になって私がそわそわしだすと
「大草原の小さな家」のテーマを谷さん歌ってくれたなあ。

高知までカメラマンチーフとして行って、撮影中オフに「魔女の宅急便」見て
「これからはアニメだ!」って言って顰蹙だったなあ。阪野さん衣装暑そう
だったなあ。撮ったばかりのフィルム、アイスボックス内で水没してたなあ。
ユースホステルのオリエンテーションで、じゃんけん大会、優勝したなあ。

松尾君と幽霊屋敷入ったなあ。あいつ裏切ったなあ。おもろかったなあ。
和田君にだて眼鏡貸したなぁ。いとこのノブ君と後輩のひろふみ、たつきくんが大阪まで
相談にきてたなあ。加賀君の部屋でミーティングしてたなあ。廣松君の三脚
傷つけて、宮里君が逆切れしてたなあ。小川君も交えて、寮の廊下で「UNO」
やってたなあ。「走れージョリーーートゥルルル♪」って歌いながらスイカ
食ってたなあ。超高速でカラオケでタンバリンしてた先生の名前ってなんだったっけ?

13号館の上でPL花火を仮装しながらみてたなあ。
高巣君がお芝居で音響やってくれてたんだよなあ。研究室前でわざわざバーナーで
ラーメン作ってた連中馬鹿だったなあ。毎年4回寮の飲み会死ぬほど嫌だったなあ。
翌日の耐久球技大会悲惨だったなあ。吐瀉物で川って堰止まるもんなんだなあ。
西成の暴動撮影に行った先輩、包帯巻いて帰ってきてたなあ。

福島と学内ワンカット撮影やって、ラストに芸大池に飛び込んで、あいつ
発熱してたなあ。あたりまえだよなあ。どんなバクテリアがまじってるか
わかんねーんだもんなあ。大雨の中、びしょぬれになりながら大道具手伝ったなあ。
A棟、爆破してたなあ。学内に忍者いたなあ。夜中に歩くと「フリーズ!」って
叫んでる人たちいたなあ。1食、2食、色合いが違ってたなあ。
4年下の永田君、平和寮の22号室に入ってくれたなあ。東郷さん歌ってたなあ。
指宿君の実家で撮影したなあ。アリフレックス、エクレール、スクーピック、
ボリュー、土井ミッチェル、シネキン、レフランプ、ラッテン85B。
覚えてるもんやねえ。

増田、CD借りパチしやがったなあ。石田君の8ミリセンスよかったなあ。
岡崎から来ただけで「だぎゃーさん」だもんなあ。男なのにまりこだもんなあ。
シビック乗ってたなあ、サイトーさん。青のシティは岩田君だよなあ。
濱島君の車は逆関節して閉まらなくなってたな。体温計でポットの温度
はかって、すぐ割れて、水銀落ちて使い物にならなくなったなあ。
中田、テレビにしろペンキ塗って、ブラウン管上下に白帯塗って「シネスコ」
っていってたなあ。字幕見れないっていって、こじこじ削ってたなあ。

なんか面白かったなあ。おもしろかったなあ。馬鹿だったなあ。
みんな貧乏で一緒にパンの耳揚げたり焼いたりもしたなあ。ネクタイ貸したっけなあ。
学校への通い道、自販機でマミー、100円だったなあ。旨かったなあ。
今でも旨いよなあ。

原付でみんな実家まで帰ったなあ。俺は11時間、2度の給油で帰ったなあ。
「お前はまだ近い方」って言われたなあ。共同台所で、みんなのお土産
一緒くたにして調理したなあ。

映画撮って、芝居やれて、漫画描いて、遠くに行って、恋して、バイトして
大声で泣いて、馬鹿みたいに笑って、意味がなくて、おもろかったなー。


・・・・・とかいうのが、全部ない交ぜになって、ごっそり残ってるんだよね。
全然色あせてなくて、なんかやたら覚えてるのね。でさ、フイに顔を出すの。
「あ、誰々が言ってたやつだ」って。
それまで全く忘れてたもので、知らなかったものでも、その理由で手に取れるの。
で、一歩、そこから踏み込むのね。

死ぬまできっと、こういう風に覚えてて、こういう風に初対面が楽しいんだよ、
きっと。それを思うと、まだまだ出会えてない、「出会うはずのもの」で
いっぱいなんだなあって楽しみになるよ。