作成日: 19/08/20
修正日: 19/08/20
500個目のエッセイ
つれづれなるのよ
● イントロダクション
エッセイ通しナンバーで500に達しました。うぉー!って、あれ?
そんなに少なかったっけ?って気分ですよ。ネット上からサイトごと
ごっそり消えてるエッセイもあるから。うふふ。
そんでもこの形式のエッセイページにして約250ページ分
打ってるから、9年半で250エッセイらしい。こんなもんかな。
● 政治家の雑な分類
ええっとですね、この頃政治家ってのがちょー大雑把に2分できる
気がしまして、「何かを作り出す人」と「既にあるものを使い回す
だけの人」ってくくり。
人と人の間にあるものを埋めて埋めて、作り出すって類いの政治家と
「既にあるものがけしからん!」とかいいながら、じゃんじゃん消費
ばかりして、消耗するばかりの人。後者のむなしさといったらないね。
実にひどい。がさつ。
● 声ばかりでかい無能者
あおり運転とやらで男女が逮捕されました。矮小で卑劣な人格を
テレビで見た想いがしますが、こんな人は世の中にごまんといます。
自重ができず、人に害をなすからには、出歩かれるのには嫌な予感
ばかり募ります。弱い相手を見つけて恫喝して殴っていい気になる。
なにが楽しいのかなにひとつわからん。自分が卑怯者だとも分からぬ
馬鹿さを誰も教えなかったのか。そう思うと不憫になってきた。
本当に強い人は黙ってるよ。何より目立ったりしない。
声のでかい人は何かに怯えてたりひるんでたりするのが見え隠れする。
なにがそんなに・・・
● スマホケース交換準備
ジンバル(スタビライザー)買った頃に、愛用のスマホケースの
ひび割れが目立つようになりました。iphone6sなんてのはこのごろ
ではレガシー機種に押し込められつつあり、ケースの購入もあんまり
選択の余地がなくなってきました。
これまでは田辺誠一先生の「もっちー」柄でしたので、できれば
後継もそれに準じたいものだと思っておった矢先に、ヤフオクで
別柄の「もっちー」を見つけまして、昨晩無事落札。
うっふっふ、入金も済ませましたし、そろそろ届くかしら。
ケースがへたるのが先か、スマホが他界するのが先か。
なにぶん6sに合わせた各種アクセサリー類が、愛おしいものが
多くって、捨てがたいのです。できればこのまま6sのサイズの
まま更新機種出てきてくれないかしら?もしくはチューンアップ。
みんなはどうしてるんだろう?けっこうアクセサリーって
流用できないよねえ。サイズとか、カメラ位置とか。
● パソコン
ウィンドウズ10のノート買ってしまったばかりに、最新ソフトが
ぐいぐい使えて、なるほどー、こりゃー便利じゃわいと歓喜しつつも、
従来使ってきたソフトやレガシーなマックたちの有能さも、色あせる
わけじゃないので、マック,WINを並べて使ってたりします。
ひどいとスマホもこれに並ぶのね。んー、便利な世の中って
いえるのかしら?どんどんじゃんじゃん「雑多さ」が重なって
行くような気がしてならないのよね。捨てればいいの?使えるのに?
● 縄跳び
ランニング、ジョギング、ウォーキングも体力作りにはいいと知っては
いるものの、この夏の連日の35度越えなどというものの前には、
熱波をまとうばかりで、意欲はしゅーしゅーしぼんでしぼいんで消えて
しまうのね。
そこで「縄跳び」の効果の良さをネットで知り、同じく使い勝手のいい
縄跳びブランドも見つけてそれを買い、さて、いざ!と飛んでみてショック!
「2分と飛び続けられない・・・・」
これはショック!体力もリズムも悪い。呼吸もすぐにあがってしまう。
なんなのこの老化は?この劣化!うわーーーーーー、うわああああああ!
縄跳びなめちゃいけません。スクワットの方がまだ続けられる。こわ。
● 叫び
姪は小学校高学年になり、口答えが親御さんに負けず劣らずの威力を
持つようになってきた。弟から聞いた話で、ママから勉強しなかったら
外に連れて行かない!って叱られた時に、真っ向から逆らって、泣いて
騒いで、弟(パパ)に「勉強したくない!でも遊びたい!」と凛と泣いて
訴えたそうだ。
はっとしました。
そうだよな!勉強したくないよな。したくないよなあ。
でも、遊びたいよな。そして叫んだんだよな。主張したんだよな。
あー、そーゆーの、何年もしてないなあ。大人になってからしてないなあ。
でも「自分にはまっすぐ正直」であるっていうのは、こういう理屈抜きの
「超・本音」だよね。時と場合によっては、こういう感情が「突き抜ける」
こともあるんだよね。ズバーンってさ。
だからさ、カワイイ姪よ。叫ぶままの君でいてみてよ。間違ってても
いいから。仮に無理が通って道理が引っ込んだ時に味わうものも受け取ってさ。
人生にはね、時々こういうのが通る時があるんだ。
時々、そういう「ええい、まかり通る!」って時も要るんだからね。
● 弟と話す
末の弟とお盆に話す。普段からお互いにそんなに話すわけじゃないけど、
通じるものがあって、楽なのです。彼の世代からは聞かないであろう音楽や
映像や芝居なんてものを、幼少の頃から詰め込んでいるので、末弟はこれを
「兄の洗脳」と呼ぶ。おかげで同時代の子との話題の齟齬すら生むわけですが
同時に耳年増になってて、妙にマニアックな点についてのこだわりが強くなる。
末弟は姪にこれが至らぬようにと、私にそれとなく忠告してくる。
でもさー、だってさー、この手の「センス」に勘のある子って、下地を
渡すと、ぐーんと伸びるんだよね。だからついつい、かまっちゃうんだよね。
私が困ってることも、ほとんど説明を端折っても、おおむねの感情を理解
してくれてるのもまたこの末弟だ。心強い弟なのです。
あんまり詳細まで話したくないことなんかを、話の早々に捕まえるセンスが
とても助かるのです。「全部は話したくない」ことってだれにでもあるじゃない?
ちなみに次男の弟こそが一番のしっかり者だからこそ、フーテンの長男・
末弟でいられるんですけどね。
● 食いつかない
びっくりしてるんだけど、はじめて見るはずの映画が、とんと興味がわかない。
いや、厳密には「録画」までして見たいはずだったものが、ことごとく
「見たくなくなった」ようになり、消したりしてる。なにこれ?
見始めて、5分せずに「もういい」ってなる。はじめて見るのに。
なによこれ?こんなんだったっけ?
そういや「タイタニック」とか「アベンジャーズ」「ハリーポッター」
「スターウォーズ」などに食指が全く動かない。「パイレーツオブカリビアン」
「アバター」あたりもただでもきっと見ない。うん、これからもそう。
「俺は本当に映画好きなんだろうか」って時々思う。漫画でもそう。
「俺って本当に漫画好きなのか?」ってくらい雑誌を買わない。読みたいのに。
本当に惚れ込むと、ガブガブ行くのに。惚れ込めない、ってのが正しい言い方
かな。惚れたいのに。すげー惚れたい人なのに。惚れさせろよ。ぐっとよ。
● エンディング
エッセイも開始当初が1997年だから、今日の時点で20年以上打ってる
ことになる。20年で500編。んー、思ってることは年々変化してきてるし
ブログで吐露できることも挟んできてるから、エッセイがすべてってわけじゃ
なくなってきてる。
京都アニメ放火で30人を越える方が亡くなった。漫画家もそうだけど、
アニメーターもまた、「他の人生」に比べて、多彩に人生を謳歌できる生活には
ならぬまま、その職業に情熱を燃やして、作品だけがさんさんと輝き、残るという
日陰の存在。亡くなってから小さく訃報が出て露出は終わる。
そういう意味では、「他のもっと楽しいこと」を自ら封印して、その熱量を
アニメーションに打ち込ませてきた職人たち。そういう人たちを、ある日
出勤してきただけで、焼き殺され、家に二度と帰れなくさせた犯人は
亡くなられた方の人数分くらいは殺され返して欲しいほど憎い。
事件から1ヶ月経っても、色あせずに訃報を悲しんでくれる人の声が世界から
届いている。
このことこそが、日陰にありながらも、人を大きく励まして、元気づけて
くれてきた人たちへの本当のお礼でもある。無名でも、有名でも関係なく、
かつて京都アニメーションの作品に触れて元気の出た人たちが、うんとたくさん
世界に居た。多分、総理大臣や大統領なんて人たちよりもたくさんの念を
亡くなられたアニメーターたちには捧げられ続けてる。
この目線の良さが救いになると思う。
世の中は大きく、雑に見えるけど、繊細なものはその隅々にちゃんとあって、
「目線」という「音のしないもの」で注がれてる。そういう心根のような
ものを、私はエッセイにできると、ほんのちょっと元気になる。
そういうエッセイで501個目以降を続けたいのです。
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